大相撲

大関規定改造論

2021年12月13日

今年(2021年)1年間大関正代は52勝48敗
1カド番、大関貴景勝は45勝28敗17休2カド
番とさんざんな成績だった。貴景勝は一月
場所、明らかに負けが込んでの休場だった。
悪いところがあるのなら初めから休場する。
負けが込んでの休場ほどみっともないものは
ない。休場は駆け込み寺ではない。「休場は
試合放棄」と言ったのは大関魁傑である。
負けが込むと横綱・大関の休場がまかり通っ
ていた。その風潮のなかで新鮮な響きをもっ
て魁傑の言葉は受け止められた。

<1月 貴景勝、遠藤に敗れ2勝7敗 翌日から休場>

なぜ、正代と貴景勝は不成績に終わったのか。
昇進面と降格面から考察してみよう。貴景勝
も正代も大関直前の3場所の成績を検討して
大関に昇進している。貴景勝は13勝優勝-
11勝-10勝の34勝である。正代は8勝-11勝
-13勝優勝の32勝である。一般論として年
6場所制の今、3場所だけを切り取って判断
するのは誤る恐れがあるのではないだろうか。
3場所で判断する場合は36勝以上に限っては
いかがだろうか。大鵬36勝、豊山37勝である。

<3月千秋楽 正代、朝乃山に敗れ8敗>

大関昇進基準より、大関を弱体化させている
のが大関降格規定である。「2場所連続負け
越しで関脇降格」の規定は関脇以下より甘い。
これでは極端なことを言えば8勝22敗で大関
にいられることになる。0勝から7勝、8勝
から11勝は同じ価値しかもたないことになる。
人は甘い規定につい傾いてしまう。8勝した
とたん休場した大関がいた。大関を弱体化させ
ているモノ、それが2場所連続負け越し降格
規定である。

大関の法則がある。大関昇進時だけよくて、
大関になってしまえば2場所連続負け越し
規定に甘えた成績になる。これが最高位大関
で繰り返されてきた。なお、年6場所制が
始まった昭和33年から昭和44年五月場所まで
は3場所連続負け越しが大関降格の規定で
あった。この制度に甘えた大関が琴ヶ濱で
あった。

<琴ヶ濱のブロマイド>

それではどういう大関降格規定がふさわしい
のだろうか。
1. 6場所間に2度カド番
2.通算5度カド番
3.3場所連続10勝を割った場合
4.3場所合計29勝以下(休場場所は除く)
5.1と3の併用
6.関脇・小結と同じ扱いにする

6の場合は大関の特別待遇はなくなり、協会
使者が部屋に赴く伝達式もなくなることに
なる。ただ、ほかの案だと大関不在があり
えるが、これだと恒久的に常駐することに
なる。ただ、今のままだと弱い大関はなく
ならないのは確かである。

新聞休刊日に家でとっている新聞をコンビニで
買うことは複雑な心境です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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