大相撲

回避!すれ違いの優勝争い2

しばらく間があいてしまったが、昭和48年
から再スタートする。昭和48年九月場所、
新入幕の大錦が好成績。といっても横綱輪島
が12戦全勝、大錦は9勝3敗で優勝を争う
には差がついていた。それでも大錦は13日目
大関貴ノ花、翌14日目は横綱琴櫻と対戦して、
何と勝ってしまったのだ。これにはファンも
驚いた。このムードに三賞がすべて大錦に
いくことになった。千秋楽は大関清國に敗れ
ている。

<大錦のブロマイド>

同年十一月場所、横綱輪島は連戦連勝。11勝
で12日目を迎えた。前頭5枚目黒姫山は7勝
2敗で10日目大関貴ノ花が組まれた。黒姫山
はこれに勝って翌日から琴櫻、北の富士、
輪島と横綱3連戦となった。琴櫻、北の富士
には敗れている。輪島は12日目貴ノ花に勝っ
たものの指の間の手を裂傷した。そのため
13日目の北の富士に力なく敗れて休場した。
黒姫山は14日目の輪島戦は不戦勝となった。
優勝は千秋楽休場した輪島であった。休場
力士の優勝は史上初であった。

<輪島>

昭和49年五月場所、優勝は13勝2敗の大関
北の湖、次点は12勝3敗の前頭4枚目増位山
であった。同部屋のため対戦はなかった。
また、北の湖は千秋楽負けての13勝2敗の
ため、優勝は14日目に決定していた。同年
九月場所、優勝争いのトップをいく横綱輪島
は10勝1敗、前頭10枚目三重ノ海は8勝2敗
1分であった。両力士は12日目に対戦して
輪島が勝っている。なお、三重ノ海は二子岳
と引き分けており、これ以降幕内で引き分け
は出てきていない。

昭和50年七月場所、横綱北の湖、大関魁傑が
乱調。横綱輪島全休、大関貴ノ花は負けが
込んでの途中休場であった。そんななか、
ほらふき金剛が前頭筆頭13勝2敗で優勝した。
次点は12勝3敗の前頭5枚目青葉城であった。
この時点では金剛と青葉城は同じ部屋に所属
していた。

<金剛>

金剛と青葉城はともに二所ノ関部屋だったが、
師匠の元佐賀ノ花はこの年の3月に病気の
ため亡くなっていた。暫定的に元十勝岩が
二所ノ関となっていた。後継者は元大麒麟の
押尾川であったが、未亡人との話はなかなか
つかなかった。そんななかの金剛の優勝で
あった。未亡人は次女と金剛を結婚させて
部屋を継がせようとした。

これに反発した押尾川が協会に嘆願書を提出
し、青葉城、天竜ら16力士を引き連れ部屋を
飛び出したのである。彼らは谷中の瑞輪寺に
立てこもった。花籠(元大ノ海)の調停で
青葉城は押尾川部屋所属となった。こうして
金剛と青葉城は袂分かつことになった。

この話には続きがある。金剛は27歳という
若さで二所ノ関を継いだが、裁定で二所ノ関
に戻されていた天竜はプロレスに転進。また
次女とは結婚式をあげたが、籍はいれて
いなかったと伝え聞いている。結局金剛は
二所ノ関部屋を閉鎖するだけの役割を担って
しまった。

久々に肉料理を食べました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.