大相撲

幕内力士の十両在位場所数番付

力士はまず十両を目指す。十両に到達すると
次は幕内を目標とする。ところが十両に在位
する場所数は力士によってまちまちである。
また、幕内に入ったとしてもいつ十両に落ち
るかわからない。段位は落ちることはないが、
大相撲の番付はそうはいかない。そこで幕内
力士の十両在位場所数を調べてみた。幕内
力士は2022年一月場所想定される力士とした。

<阿炎>

項目としては入幕までの十両在位場所数、
通算十両在位場所数、十両優勝回数を掲載
した。入幕までの十両在位場所数の項目で
( )の数字は新十両後幕下に降格した場所
数を含んで入幕した場所数である。阿炎は
新十両から17場所かかって入幕したことに
なる。番付は通算十両在位場所数を基準と
した。それが以下である。

通算十両在位場所数が短かった幕内力士は、
遠藤、正代、御嶽海、北勝富士の2場所で
ある。順位は十両時代の成績がいい順とした。
以下原則は同じだが、新十両後幕下に降格
した力士は通算十両在位場所数が同じでも
順位はあとまわしにした。

<遠藤>

以下高安、碧山、貴景勝と続く。照ノ富士の
ようにケガのために幕内から十両に落ち、
ここでさらに十両場所を重ねることになる。
さらに序二段まで落ちて這い上がる過程で
十両を2場所で通過すると3度十両時期が
あることになる。栃ノ心、宇良も同様である。
阿炎は出場停止によって3度十両を経験して
いる。栃ノ心は負け越しが続いている。今の
ままでは幕内が危ない。

隆の勝、大栄翔、明生、若隆景という上位で
活躍する力士の番付が思ったより低かった。
彼らにも苦労した時期があったことがわかる。
貴景勝が初優勝したとき、隆の勝が旗手を
務めた。翌場所は十両に降格している。

<隆の勝>

最下位は英乃海である。ここ1年は幕内に
定着してきたが 、幕内より十両時代が長かっ
た。十一月場所では幕内11場所、十両31場
所であった。剣翔は幕内と十両のエレベー
ターが続いている。

十両を2場所で通過する力士が学生出身以外
で出現してほしいものである。

このテーマは労作でした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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