かつて相撲専門誌の展望号には優勝力士一覧
が掲載されていた。それは明治42年夏場所の
国技館開設以降からであった。史実は時事
新報社が幕内最高成績力士の写真額を国技館
に掲げる制度だった。幕内最高成績を争う
下地はなかった。対戦相手が休めば自分も
休み扱いであった。そのため、幕内最高成績
を逃したケースがでてきた。例えば大正11年
夏場所である。
西正横綱栃木山7勝1敗1分1相手休
西張出横綱大錦8勝1敗1分
対戦相手が休場したため番付上位の栃木山が
幕内最高成績を逃している。
こうした時代を含め、連続幕内最高成績及び
連続優勝は常に「5」という数字がつきまと
っていた。太刀山5場所連続幕内最高成績。
栃木山5場所連続幕内最高成績。栃木山は
初幕内最高成績からの5場所連続であった。
大正15年優勝制度がスタートした。双葉山が
5場所連続優勝した。双葉山の場合、初優勝
からと同時にすべて全勝優勝であった。年2
場所制では5場所連続幕内最高成績及び連続
優勝が最高であった。
年6場所制になって大鵬が2度にわたり6連
覇を達成した。最初は22歳のとき、2度目は
25歳~26歳のときである。優勝回数でいえば
6回目~11回目及び19回目~24回目のときで
ある。成績は83勝7敗及び84勝6敗であった。
NHK相撲解説者の神風さんは大鵬の数ある
功績の中で2度にわたる6連覇を最も評価
していた。
この大鵬の6連覇を破る力士が現れた。朝青
龍である。24歳~25歳にかけて7連覇を達成
した。優勝9回目~15回目のときである。
成績は97勝8敗であった。1場所約1.1敗で
ある。当時朝青龍は一人横綱で朝青龍に対抗
できる力士がいなかった。
朝青龍の記録に並んだのが白鵬であった。
7連覇は25歳から26歳にかけて成し遂げた。
優勝13回目~19回目である。朝青龍引退後の
一人横綱の時であり、63連勝のときでもあっ
た。成績は101勝4敗という驚異的な数字で
ある。この点は朝青龍を超えた。
7連覇という記録を破ることは簡単なこと
ではない。今後若くして横綱になった者、
それも独走できるほどの強豪という条件が
つく。白鵬の101勝4敗の7連覇は当分輝き
続けることになる。
九州にとてつもなくビッグな品を送りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。