大相撲

殊勲賞の中身Ⅱ 1【昭和33年~34年】

2017年に殊勲賞の中身を5回掲載した。その
続編を久々に発表することにした。前回昭和
32年までだったので、今回は昭和33年からの
スタートになる。この年から年6場所制が
始まった。若乃花が横綱に昇進して栃若時代
へ突入していった。殊勲賞は本来優勝候補の
横綱・大関を倒し、なおかつ勝ち越した力士
に贈られる。まず、昭和33年、34年の2年間
の殊勲者を検証する。

横綱を2人倒した殊勲力士は昭和33年一月
場所の琴ヶ濱、五月場所の鶴ヶ嶺、昭和34年
十一月場所の安念山である。鶴ヶ嶺は優勝
した栃錦に唯一の黒星をつけただけに値千金
だった。優勝力士に勝って殊勲賞を受賞した
力士はほかに2人いる。昭和33年十一月場所、
優勝した大関朝汐の1敗は北の洋によるもの
である。昭和34年一月場所、時津山が14勝
1敗で優勝した横綱若乃花に黒星を与えて
いる。

<鶴ヶ嶺のブロマイド>

昭和33年七月場所は出羽錦が優勝した横綱
若乃花に勝ちながら、受賞を逃している。
大関に勝った数が多かった安念山が受賞して
いる。昭和34年九月場所は鶴ヶ嶺と安念山が
ともに12勝3敗の栃錦に勝ちながら鶴ヶ嶺の
受賞となっている。安念山より勝ち星が1勝
多かったが、それは殊勲賞の基準にない。

<出羽錦のブロマイド>

希薄な中身もある。昭和33年三月場所の琴ヶ
濱は11勝4敗の横綱栃錦に勝っただけである。
負け越した大関松登は論外である。昭和34年
七月場所の岩風も同様である。11勝4敗の
横綱若乃花に勝っただけである。

昭和33年九月場所の時津山は途中休場の栃錦
と11勝4敗の大関琴ヶ濱に勝つというイン
パクトの弱さである。さらに昭和34年五月
場所の潮錦は10勝5敗の横綱朝汐、8勝7敗
の大関琴ヶ濱に勝っての受賞といささかさび
しい内容である。この時代殊勲賞該当者なし
はまだなかった。

<時津山のブロマイド>

次代の殊勲者としてだけでなく、大物柏戸が
台頭しようとしていた。

さんまの美味しい季節です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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