大相撲

大相撲優勝・次点力士 令和初期編

令和も3年に入った。令和2年2月から新型
コロナウイルスに振り回され、ビジネス・
生活に大きな支障が出て、憂鬱の日々がいま
だに続いている。大相撲も例外ではない。
地方場所が名古屋で開催されるが、これは
オリンピックのボクシング会場に国技館を
使用するためで、今後地方場所がどうなる
かはわからない。ワクチンの接種が始まった
が、予約が取りにくいのは変わらない。大相
撲の通常開催はまだまだ見通せない。

<愛知県体育館>

令和は絶対的強者不在の時代である。平成
から15場所連続優勝なしが続いた。五月場所
照ノ富士が連続優勝を達成してピリオドを
うった。しかし、絶対的強者不在の時代は
当分続きそうな気配である。令和の優勝力士
は記憶に新しいところである。12場所中横綱
が3場所、大関が2場所、関脇が3場所、
平幕上位が1場所、平幕中位以下が3場所で
ある。まさに混迷の時代である。

それでは優勝次点力士はどうか。次点は当然
優勝者に次ぐ成績の力士だが、横綱・大関と
対戦のない力士及び部分対戦力士ははずした。
複数いるときは上位力士とした。令和の優勝
次点力士は以下である。

白鵬の優勝次点は19回目となった。これは
優勝制度がスタートした大正15年以降では
最高数である。白鵬を含め、続くのが以下
である。

白鵬 19
北の湖17
貴乃花15
柏戸 15
曙  13

<白鵬>

ちなみに大鵬の次点は12回、千代の富士は
10回である。最近引退した鶴竜は6回である。
稀勢の里は優勝2回に終わったが、次点は
10回もある。あと一歩に泣いてきたわけで
ある。

現役では照ノ富士が次点5回と最高である。
4回は幕内復帰以前である。続くのが貴景勝
の次点4回である。そのうち大関では2回 。
朝乃山と高安が次点3回である。高安は大関
時代で、すべて平成である。朝乃山は、当分
幕内出場がないから優勝も次点も遠ざかる
ことになる。

<照ノ富士>

令和はどんな大相撲史を刻んでいくのか。
歴史の歯車は留まることなくまわっていく。

九州に漫画を送りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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