大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し9

■若浪
・優勝した翌場所負け越し30例目

昭和43年三月場所、千秋楽を迎えて2敗は
大関豊山、小結麒麟児(のちの大麒麟)、
前頭8枚目若浪であった。14日目は豊山と
麒麟児が直接対戦して麒麟児が勝っている。
優勝なしの豊山にとっては最後のチャンスで
あった。

<若浪>

千秋楽、若浪は前頭筆頭の海乃山に勝って
優勝決定戦を待つことになった。ところが
麒麟児が関脇前の山に、豊山が関脇清國に
負け、自動的に若浪の優勝が決定してしまっ
た。麒麟児・豊山ともに堅くなる傾向があり、
それが大事な場面で出てしまった。豊山は
3場所後引退している。若浪は横綱・大関
戦は1番もない価値なき優勝だった。翌場所
若浪は2勝13敗と惨敗した。横綱・大関戦は
5戦全敗であった。

■琴櫻
・優勝した翌場所負け越し31例目
・優勝した前場所負け越し18例目

琴櫻が初優勝したのは大関5場所目であった。
横綱大鵬は5場所連続休場中であった。絶対
強者がいない時であった。ただし、翌場所は
途中休場している。

<琴櫻>

2回目の優勝は大鵬の連勝記録が誤審でスト
ップした昭和44年三月場所であった。大鵬は
途中休場。誤審で連勝記録がストップした
ため、大阪府立体育館はガラガラだった。
優勝は琴櫻と前頭9枚目の竜虎の争いになり、
直接対決で12日目竜虎が勝って2敗で並んだ。
千秋楽、弟弟子の長谷川が竜虎に勝ち、琴櫻
が大関北の富士に勝って2回目の優勝が決ま
った。しかし、前場所は5勝10敗と大敗して
いた。

■栃東
・優勝した前場所・翌場所負け越し7例目

昭和47年一月場所は大混戦の場所であった。
一人横綱北の富士は大乱調。7勝6敗から
休場してしまった。当時大麒麟、清國、前の
山、琴櫻の4大関はまったく頼りにならない
存在であった。そんななか栃東が11勝4敗で
1位になった。横綱戦はなく、出場した2
大関のうち琴櫻との対戦はなかった。栃東は
前場所4勝11敗、翌場所は3勝9敗3休と
途中休場している。

<栃東>

■高見山
・優勝した翌場所負け越し33例目

昭和47年七月場所一人横綱北の富士の乱調は
続いてついに全休。4大関は前の山が降格
して3大関になっていたが、まったく期待
できない存在だった。その中で優勝を争った
のが2敗前頭4枚目高見山と3敗関脇貴ノ花
だった。両者1差のまま終盤戦にはいったが、
ついに最後まで差は縮まらず、高見山の初
優勝となった。同時に外国人初優勝でもあっ
た。しかし、翌場所関脇で5勝10敗で大敗
している。

<高見山>

疲れがたまっています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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