大相撲

横綱フル出場なしの場所2

引き続き横綱フル出場なしの場所をみて
いこう。

■昭和戦前4回
昭和戦前は4回ある。最初は昭和4年春場所
である。横綱は常ノ花と東西合併で大阪横綱
だった宮城山である。この場所はともに途中
休場であった。優勝は関脇玉錦が初優勝した。
当時は東京場所と地方場所の成績を合わせて
番付編成をしていた。玉錦は初優勝後も好
成績を続けたが、大関になるまでその後5
場所を要した。
昭和4年
春 10勝1敗優勝
3月9勝2敗優勝同点
夏 9勝2敗次点
10月7勝4敗
昭和5年
春 9勝2敗優勝同点
3月8勝3敗

<常ノ花のブロマイド>

次が翌場所の昭和4年3月場所である。大阪
中ノ島でおこなわれた。横綱常ノ花は全休、
宮城山は途中休場だった。大関豊國が9勝
2敗で初優勝した。大関8場所目の優勝で
あった。関脇玉錦は9勝2敗だったが、当時
は優勝決定戦制度がなく、同成績の場合は
番付上位の優勝となった。

3回目は昭和5年10月場所であった。福岡で
おこなわれた。昭和5年夏場所横綱常ノ花が
引退してから宮城山は一人横綱になっていた。
その宮城山が途中休場した。優勝は9勝2敗
の大関玉錦であった。2回目の優勝であるが、
玉錦はこの後2場所優勝、つまり3連覇して
いる。それでも横綱になれなかった。

<宮城山のブロマイド>

横綱宮城山は昭和6年春場所引退した。これ
によって横綱はいなくなった。横綱不在に
関しては以前執筆しているので検索機能で
ご覧いただきたい。ここではあくまで「横綱
フル出場なしの場所」について触れていく。

4回目は昭和9年春場所である。玉錦は昭和
8年春場所ようやく横綱に昇進したが、一人
横綱であった。その玉錦が全休した。優勝は
関脇男女ノ川であった。9勝2敗で2回目の
優勝であった。男女ノ川は場所後大関に昇進
した。のちに横綱にもなるが、大関・横綱
時代は優勝が1回もなかった。

<玉錦のブロマイド>

(この項目続く)

にわか豪雨がまたもありそうです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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