引き続き横綱フル出場なしの場所をみて
いこう。
■昭和戦前4回
昭和戦前は4回ある。最初は昭和4年春場所
である。横綱は常ノ花と東西合併で大阪横綱
だった宮城山である。この場所はともに途中
休場であった。優勝は関脇玉錦が初優勝した。
当時は東京場所と地方場所の成績を合わせて
番付編成をしていた。玉錦は初優勝後も好
成績を続けたが、大関になるまでその後5
場所を要した。
昭和4年
春 10勝1敗優勝
3月9勝2敗優勝同点
夏 9勝2敗次点
10月7勝4敗
昭和5年
春 9勝2敗優勝同点
3月8勝3敗
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/大相撲-『常の花』.jpg)
次が翌場所の昭和4年3月場所である。大阪
中ノ島でおこなわれた。横綱常ノ花は全休、
宮城山は途中休場だった。大関豊國が9勝
2敗で初優勝した。大関8場所目の優勝で
あった。関脇玉錦は9勝2敗だったが、当時
は優勝決定戦制度がなく、同成績の場合は
番付上位の優勝となった。
3回目は昭和5年10月場所であった。福岡で
おこなわれた。昭和5年夏場所横綱常ノ花が
引退してから宮城山は一人横綱になっていた。
その宮城山が途中休場した。優勝は9勝2敗
の大関玉錦であった。2回目の優勝であるが、
玉錦はこの後2場所優勝、つまり3連覇して
いる。それでも横綱になれなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/宮城山.jpg)
横綱宮城山は昭和6年春場所引退した。これ
によって横綱はいなくなった。横綱不在に
関しては以前執筆しているので検索機能で
ご覧いただきたい。ここではあくまで「横綱
フル出場なしの場所」について触れていく。
4回目は昭和9年春場所である。玉錦は昭和
8年春場所ようやく横綱に昇進したが、一人
横綱であった。その玉錦が全休した。優勝は
関脇男女ノ川であった。9勝2敗で2回目の
優勝であった。男女ノ川は場所後大関に昇進
した。のちに横綱にもなるが、大関・横綱
時代は優勝が1回もなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/玉錦.jpg)
(この項目続く)
にわか豪雨がまたもありそうです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。