鶴竜の転機、それは2009年五月場所であった。
この場所、鶴竜は小結に昇進した。それだけ
ではない。9勝6敗で初の小結で勝ち越した
のである。3回目の技能賞を獲得した。横綱
戦0勝2敗、大関戦2勝2敗であった。翌
七月場所は関脇になった。しかし、この場所
は5勝10敗と大敗した。はね返されたので
ある。横綱には0勝2敗、大関には1勝3敗
であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/090517八日目幕内-881琴欧洲.jpg)
九月場所は番付を下げて前頭3枚目になった。
ここで11勝4敗と大勝した。横綱朝青龍との
対戦はなかったが、横綱戦0勝1敗、大関戦
2勝2敗であった。この成績で翌十一月場所
は関脇にカムバックした。この場所9日目
まで2勝7敗と黒星が先行した。その後盛り
返したものの7勝8敗と惜敗した。横綱戦
0勝2敗、大関戦1勝4敗であった。十一月
場所、大関千代大海は負け越して大関の座を
明け渡すことになった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/090923十一日目幕内-823きせ.jpg)
2009年は51勝39敗であった。上位5場所は
42勝33敗と成長の1年であった。横綱には
0勝9敗とまったく勝てなかった。大関には
10勝14敗であった。
2010年は2009年よりやや苦戦した1年になっ
た。小結2場所、関脇1場所を務め、6場所
すべて上位であった。成績は46勝44敗と勝敗
が接近した。三賞は技能賞が1度あった。
横綱戦0勝7敗、大関戦10勝12敗であった。
相変わらず、横綱には負け続けた。横綱朝青
龍が不祥事によって一月場所限りで引退した。
大関琴光喜が野球賭博によって五月場所限り
で解雇になった。朝青龍には0勝7敗であっ
た。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/100725千秋楽幕内-906.jpg)
2011年は、鶴竜が関脇・小結に定着した年に
なった。三月場所は八百長発覚のため中止に
なったが、5場所の成績は以下である。
一月場所 小結8勝7敗
技量審査場所 小結12勝3敗 技能賞
七月場所 関脇10勝5敗
九月場所 関脇9勝6敗
十一月場所 関脇10勝5敗
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2021/04/110515八日目幕内-743はるま-e1617856033940.jpg)
七月場所で大関魁皇が引退した。十一月場所
で新大関琴勝菊が誕生した。鶴竜は5場所を
すべて勝ち越し、49勝26敗の成績を残した。
横綱戦0勝5敗と勝てない日々が続いた。
大関戦は10勝8敗と勝ち越した。鶴竜の大関
昇進が近づいていた。
(この項目続く)
韓国の選挙結果に関心。
興味深いテーマをこれからもお届けします。