大相撲

鶴竜の相撲人生2

鶴竜の転機、それは2009年五月場所であった。
この場所、鶴竜は小結に昇進した。それだけ
ではない。9勝6敗で初の小結で勝ち越した
のである。3回目の技能賞を獲得した。横綱
戦0勝2敗、大関戦2勝2敗であった。翌
七月場所は関脇になった。しかし、この場所
は5勝10敗と大敗した。はね返されたので
ある。横綱には0勝2敗、大関には1勝3敗
であった。

<2009年5月 琴欧洲戦>

九月場所は番付を下げて前頭3枚目になった。
ここで11勝4敗と大勝した。横綱朝青龍との
対戦はなかったが、横綱戦0勝1敗、大関戦
2勝2敗であった。この成績で翌十一月場所
は関脇にカムバックした。この場所9日目
まで2勝7敗と黒星が先行した。その後盛り
返したものの7勝8敗と惜敗した。横綱戦
0勝2敗、大関戦1勝4敗であった。十一月
場所、大関千代大海は負け越して大関の座を
明け渡すことになった。

<2009年9月 関脇稀勢の里戦>

2009年は51勝39敗であった。上位5場所は
42勝33敗と成長の1年であった。横綱には
0勝9敗とまったく勝てなかった。大関には
10勝14敗であった。

2010年は2009年よりやや苦戦した1年になっ
た。小結2場所、関脇1場所を務め、6場所
すべて上位であった。成績は46勝44敗と勝敗
が接近した。三賞は技能賞が1度あった。
横綱戦0勝7敗、大関戦10勝12敗であった。
相変わらず、横綱には負け続けた。横綱朝青
龍が不祥事によって一月場所限りで引退した。
大関琴光喜が野球賭博によって五月場所限り
で解雇になった。朝青龍には0勝7敗であっ
た。

<2010年7月 左から把瑠都、鶴竜、日馬富士>

2011年は、鶴竜が関脇・小結に定着した年に
なった。三月場所は八百長発覚のため中止に
なったが、5場所の成績は以下である。

一月場所 小結8勝7敗
技量審査場所 小結12勝3敗 技能賞
七月場所 関脇10勝5敗
九月場所 関脇9勝6敗
十一月場所 関脇10勝5敗

<2011年技量審査 日馬富士戦>

七月場所で大関魁皇が引退した。十一月場所
で新大関琴勝菊が誕生した。鶴竜は5場所を
すべて勝ち越し、49勝26敗の成績を残した。
横綱戦0勝5敗と勝てない日々が続いた。
大関戦は10勝8敗と勝ち越した。鶴竜の大関
昇進が近づいていた。

(この項目続く)

韓国の選挙結果に関心。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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