大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し1

2021年4月7日

一月場所優勝した大栄翔は三月場所7勝7敗
で千秋楽を迎えた。幸い勝って勝ち越すこと
ができた。負け越していたら優勝力士が翌
場所負け越しの記録をつくるところだった。
といっても過去には優勝した翌場所、前場所
負け越した優勝力士が現実にいる。どんな
優勝力士なのか調査してみた。

<優勝大栄翔>

協会が正式に優勝制度をスタートさせたのは
大正15年からであった。優勝制度によって
取り直し制度、不戦勝不戦敗制度が設けられ
ていった。

■常ノ花
第1回は常ノ花の優勝であった。常ノ花は
この時横綱だった。この優勝がすでに前場所、
翌場所共に負け越しだった。前場所が3勝
1敗1分6休、翌場所が全休であった。常ノ
花は8回優勝しているが、昭和2年10月場所
4回目の優勝の翌場所全休している。さらに
昭和4年夏場所6回目の優勝前場所は全休で
あった。昭和5年3月場所8回目最後の優勝
の翌場所は5勝4敗2休であった。その翌
場所引退している。

<常ノ花のブロマイド>

■大蛇山
大蛇山は大正15年夏場所、平幕8枚目の優勝
だった。そのため、大関戦はなかった。横綱
常ノ花は全休であった。前場所は前頭8枚目
4勝8敗で負け越している。負け越しながら
現状維持の番付であった。優勝の翌場所は
前頭2枚目まで番付をあげてきた。横綱常ノ
花・大関大ノ里には負けたが、6勝5敗と
勝ち越している。ただし、取組が東西制で
強豪との対戦は単純計算で半分になる。

<大蛇山のブロマイド>

■常陸岩
昭和3年春場所、大関で優勝した。翌場所
全休している。常陸岩唯一の優勝であるが、
かなりピンチであった。

千秋楽をむかえ前頭13枚目の三杉磯は全勝、
大関常陸岩は1敗。当時は優勝決定戦制度が
なく、同成績の場合は番付上位力士が優勝で
あった。平幕の三杉磯は千秋楽に小結玉錦と
あてられた。前日から玉錦のもとには八百長
の申し入れがあったようだが、玉錦は断った。
むかえた千秋楽。玉錦は三杉磯との一番、
負けては八百長と思われるので必死でうっ
ちゃった。大関常陸岩が横綱宮城山を倒し、
優勝を決めた。

<常陸岩のブロマイド>

ところが常陸岩には不戦勝があったので、
実質は三杉磯が上だと三杉磯サイドが主張
した。当時は不戦勝の認識があいまいだった。
結局不戦勝があっても価値は勝利と同じと
いうことで常陸岩の優勝となった。

■能代潟
大関能代潟は昭和3年3月場所10勝1分で
優勝した。これが最初で最後の優勝だった。
だが、前場所が3勝6敗、優勝の翌場所が
4勝7敗で負け越している。能代潟は大関
22場所務めているが、実に11場所負け越しで
あった。

<能代潟のブロマイド>

(この項目続く)

理髪店が混んでいます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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