大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し2

2021年4月10日

前回までをまとめると以下になる。
・常ノ花は8回の優勝のうち
優勝した前場所・翌場所負け越し1例目
優勝した翌場所負け越し1・5例目
優勝した前場所負け越し2例目

・大蛇山
優勝した前場所負け越し1例目

・常陸岩
優勝した翌場所負け越し2例目

・能代潟
優勝した前場所・翌場所負け越し2例目

引き続き優勝した場所の前と後の負け越し
みていこう。

■宮城山
・優勝した翌場所負け越し3例目
宮城山は東西合併により大阪から来た横綱で
あった。大阪では横綱でも東京では小結程度
といわれた。合併直後の昭和2年春場所10勝
1敗で優勝した。1敗は横綱常ノ花による
もので千秋楽ではなく、8日目に実現して
いる。なお、宮城山は梅ヶ谷型土俵入りで
あった。宮城山の2回目の優勝は昭和3年
10月場所9勝2敗であった。これが最後の
優勝であった。翌場所1勝4敗6休と途中
休場している。

<宮城山のブロマイド>

■豊國
・優勝した翌場所負け越し4例目
初優勝は昭和4年3月場所9勝2敗であった。
大関7場所であった。大関に昇進してからは
横綱常ノ花と5勝4敗と互角の対戦成績を
残している。2回目の最後の優勝は昭和5年
春場所9勝2敗であった。翌場所5勝6敗と
負け越している。賜杯を載せる台は今より
かなり低く、賞状が読まれている間、豊國は
そんきょ姿勢であった。

<小野川時代の豊國のブロマイド>

■山錦
・優勝した翌場所負け越し6例目
昭和5年夏場所、前頭5枚目の山錦は初日
小結若葉山に勝つと2日目大関豊國、3日目
大関玉錦、4日目関脇能代潟相手に押し相撲
で連戦連勝。10日目は横綱宮城山にも勝って
勢いのまま11戦全勝で優勝した。翌場所5勝
6敗で負け越した。なお、この場所から勝負
検査役(現在の審判)が四本柱から土俵下に
降りるようになった。それが現在まで続いて
いる。

<山錦のブロマイド>

■綾櫻
・優勝した前場所負け越し3例目
昭和5年10月場所は大阪中ノ島でおこなわれ
た。横綱がいない時期である。初日中入りの
とき入場式が行われた。楽隊による伴奏まで
あった。玉錦、大ノ里による力士宣誓まで
おこなわれた。

この場所優勝した力士が前頭4枚目の綾櫻で
あった。10勝1敗の成績だったが、大関玉錦
が最後まで2敗でついてきていた展開だった。
なお、2人の直接対決は3日目に実現し、
綾櫻が勝っている。綾櫻は前場所4勝7敗で
負け越している。また優勝の翌場所は春秋園
事件で協会を脱退している。

<綾櫻のブロマイド>

(この項目続く)

古い録画を見ています。

興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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