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平幕上位優勝の翌場所の地位1

きたる三月場所の番付は以下となった。

前頭筆頭で優勝した大栄翔は小結2と1枚
上がっただけだった。これは歴史的に見て
どうなのか。つまり平幕上位で優勝した力士
の翌場所の地位はと比較して妥当なのか。
改めて検証してみることにした。

<大栄翔>

戦前及び終戦直後に平幕上位で優勝した力士
に山錦、綾櫻、備州山がいる。しかし東西制
のため、東は東だけで、西は西だけで番付
編成をするため、現代とは事情が違う。加え
て昭和3年夏場所以降から昭和7年までは
東京場所と地方場所の成績を合わせて番付
編成をしていた。さらに綾櫻は優勝した翌場
所、春秋園事件のため協会を脱退している。

その後平幕上位で優勝したのは昭和35年五月
場所の若三杉であった。横綱栃錦が引退した
場所であった。若三杉は栃錦から不戦勝を
えている。当時は系統別総あたり制であった。
大関琴ヶ濱、大鵬との対戦はなかった。

関脇は柏戸が確定。関脇候補としては北の洋
がいた。ところが前頭4枚目14勝1敗で優勝
した若三杉を関脇に張出したのである。なお、
小結候補として北葉山、安念山、東6枚目で
横綱・大関と対戦している大鵬が11勝4敗で
いた。その結果北葉山と大鵬が小結となり、
安念山は西筆頭から東筆頭にまわるだけで
終わっている。

<若三杉のブロマイド>

次は昭和47年七月場所である。一人横綱の
北の富士は全休、大関大麒麟は途中休場の
なか、2大関・5関脇のなか、前頭4枚目
の高見山が外国人で初めて優勝した。当時の
大関はあてにならなかった。昭和40年以降は
部屋別総あたり制である。

5関脇のうち輪島、貴ノ花、魁傑が勝ち越し
た。貴ノ花、魁傑は2ケタ勝利である。輪島
は優勝した翌場所8勝に終わった。小結では
前の山が勝ち越している。その中で高見山は
関脇に昇進している。小結にも張出を設け、
勝ち越した者は皆上がった形になった。

<高見山>

昭和50年七月場所、ほら吹き金剛が前頭西
筆頭で優勝した。番付は大栄翔と同じである。
横綱輪島は全休、横綱北の湖は不調。大関
貴ノ花は途中休場。大関魁傑は不調だった。

関脇では三重ノ海と麒麟児が勝ち越していた。
小結では旭國が11勝と2ケタ勝利をあげて
いた。翌場所の番付は金剛が東関脇に位置
した。小結旭國が西関脇に昇進。三重ノ海と
麒麟児は張出関脇にまわった。青葉城は前頭
東6枚目12勝3敗で小結に昇進した。関脇は
成績本位の番付が実現したといえる。

<金剛の記事>

(この項目続く)

安美錦の引退相撲が来年の五月場所後に
なりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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