大相撲

白鵬の優勝と休場を検証

2020年8月12日

七月場所、白鵬は快調に白星を重ねて初日
から10連勝。相撲内容、安定性から優勝候補
ナンバー1と思われたが、11日目小結大栄翔
の押しに敗退。この時は「ガイにしやがっ
て」のような顔だったが、翌12日目、土俵際
まで御嶽海を攻め込みながら突き落としを
くい、2敗となった。すると13日目からあっ
さり休場してしまった。場所が盛り下がった
のは間違いない。

<大栄翔に敗北>

白鵬といえば44回優勝という途方もない数字
を残している。次点が大鵬の32回だから相当
差をつけている。大鵬が32回の優勝を達成
したときは不滅の大記録と思われた。当時
次点は双葉山の12回(年2場所制)であった。
その後怪童北の湖が24回、千代の富士が31回
まで迫ったがおよばなかった。朝青龍が29歳
で25回までいった。事件を起こさなければ
どこまでいったか。

白鵬の44回優勝及び15回休場を年別に分析
してみよう。( )はその年の3月に迎えた
年齢である。

2004年(19歳)
2005年(20歳)    休場1場所
2006年(21歳)優勝1回休場1場所
2007年(22歳)優勝4回
2008年(23歳)優勝4回
2009年(34歳)優勝3回
2010年(25歳)優勝5回
2011年(26歳)優勝4回 ※年5場所
2012年(27歳)優勝2回
2013年(28歳)優勝4回
2014年(29歳)優勝5回
2015年(30歳)優勝3回休場1場所
※優勝32回超え
2016年(31歳)優勝2回休場1場所
2017年(32歳)優勝3回休場2場所
2018年(33歳)優勝1回休場4場所
2019年(34歳)優勝2回休場3場所
2020年(35歳)優勝1回休場2場所
※2020年七月場所現在 

<栄光の白鵬>

白鵬の初優勝は21歳と若いときである。新
大関の場所であった。白鵬の全盛期は25歳、
26歳ごろである。63連勝とその翌年である。
日馬富士が横綱になったのは白鵬27歳のとき
である。朝青龍以外ではもっとも白鵬に立ち
はだかった力士である。

白鵬の休場は30歳を超えてから目立ち、33歳
以降は優勝回数より休場場所数が多くなった。
ちなみに大鵬は優勝32回、休場12場所(引退
時含まず)、千代の富士は優勝31回、幕内
休場12場所(引退時含まず)である。白鵬の
幕内15回休場は特別多いとはいえない。

<白鵬の休場>

とはいえ、白鵬が晩年に入っているのは間違
いない。問題は、引退はいつになるのか。
引退に追い込む力士はいるのか。ほぼ同年代
の鶴竜ではないのは確かである。むしろ鶴竜
のほうが引退は早くなる恐れがある。朝乃山
は強くはなっているが、七月場所照ノ冨士・
照強戦の負け方をみると心もとない。

当分は白鵬にがんばってもらうしかないのが
大相撲の現状である。

水分補給が半端ではありません。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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