大相撲

勝ち越して休場した大関2

2020年8月11日

勝ち越して休場した大関2人目は栃ノ海で
ある。昭和38年三月場所8勝2敗5休で大関
5場所目のことだった。栃ノ海の大関在位は
10場所だが、負け越しはない。昭和38年三月
場所は新大関豊山が不調、横綱柏戸、大関
佐田の山も途中休場で大鵬と栃光だけが優勝
を争った場所になった。

<栃ノ海>

3人目は佐田の山である。昭和39年一月場所、
9勝3敗3休であった。佐田の山は大関在位
が17場所と長かった。その間2度途中休場が
あるが、そのうちの1場所は勝ち越しての
途中休場であった。大関11場所目で大関優勝
は、まだなかった。この場所、横綱大鵬は
千秋楽を迎えて14勝、前頭13枚目清國が14勝。
史上初の15戦全勝同士の優勝決定戦か、と
色めきだった。清國は千秋楽関脇大豪に負け
て幻に終わった。また、この場所後栃ノ海は
横綱に昇進している。

<佐田-の山>

4人目は若嶋津である。それは大関2場所目
の昭和58年三月場所のことだった。8勝3敗
4休であった。これが生きて、大関15場所
連続勝ち越しを記録した。また、初優勝は
大関8場所目であった。優勝は隆の里と千代
の富士の争いの時代に入っていた。それでも
15戦全勝したとき横綱は近い、と思わせたが、
大成しなかった。

<若嶋津>

昭和は64年初めまであったが、勝ち越して
休場した大関は4人であった。これが平成に
はいると一段と目立つようになってくる。

5人目は武双山である。武双山は大関に昇進
したとたん2場所連続負け越しで関脇に降格
した。関脇で10勝して復帰した。9勝5敗
1休は平成14年五月場所での成績である。
大関復帰10場所目であった。翌年の平成15年
は勝ち越し、負け越しがともに3場所。平成
16年は負け越しと勝ち越しを繰り返し、十一
月場所限りで引退した。

<武双山>

(この項目続く)

危険な暑さが続いています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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