勝ち越して休場した大関2人目は栃ノ海で
ある。昭和38年三月場所8勝2敗5休で大関
5場所目のことだった。栃ノ海の大関在位は
10場所だが、負け越しはない。昭和38年三月
場所は新大関豊山が不調、横綱柏戸、大関
佐田の山も途中休場で大鵬と栃光だけが優勝
を争った場所になった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/5栃ノ海-e1597111407405.jpg)
3人目は佐田の山である。昭和39年一月場所、
9勝3敗3休であった。佐田の山は大関在位
が17場所と長かった。その間2度途中休場が
あるが、そのうちの1場所は勝ち越しての
途中休場であった。大関11場所目で大関優勝
は、まだなかった。この場所、横綱大鵬は
千秋楽を迎えて14勝、前頭13枚目清國が14勝。
史上初の15戦全勝同士の優勝決定戦か、と
色めきだった。清國は千秋楽関脇大豪に負け
て幻に終わった。また、この場所後栃ノ海は
横綱に昇進している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/佐田-の山-e1597111425516.jpg)
4人目は若嶋津である。それは大関2場所目
の昭和58年三月場所のことだった。8勝3敗
4休であった。これが生きて、大関15場所
連続勝ち越しを記録した。また、初優勝は
大関8場所目であった。優勝は隆の里と千代
の富士の争いの時代に入っていた。それでも
15戦全勝したとき横綱は近い、と思わせたが、
大成しなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/若島津-e1597111464655.jpg)
昭和は64年初めまであったが、勝ち越して
休場した大関は4人であった。これが平成に
はいると一段と目立つようになってくる。
5人目は武双山である。武双山は大関に昇進
したとたん2場所連続負け越しで関脇に降格
した。関脇で10勝して復帰した。9勝5敗
1休は平成14年五月場所での成績である。
大関復帰10場所目であった。翌年の平成15年
は勝ち越し、負け越しがともに3場所。平成
16年は負け越しと勝ち越しを繰り返し、十一
月場所限りで引退した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/武双山・-e1597111483995.jpg)
(この項目続く)
危険な暑さが続いています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。