七月場所は幕尻の照ノ富士が約5年ぶり2回
目の優勝を成し遂げた。最初の優勝は関脇の
ときで両方とも関脇以下での優勝である。
大関のときは優勝同点が2回あるが、惜しく
も優勝決定戦で敗退している。照ノ富士の
ようにこれまで関脇以下で2回優勝した力士
は、どのくらいいるのだろうか。協会認定の
優勝制度、大正15年以降を対象とした。
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最初の関脇以下2回通勝者は男女ノ川である。
男女ノ川は昭和7年1月におきた春秋園事件
で協会を脱退している。昭和8年春場所復帰
したものの、番付に名前がなく、別席として
加わった。11戦全勝で初優勝した。別席と
いっても横綱玉錦、大関清水川、大関武蔵山、
関脇沖ツ海と対戦している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/男女ノ川-e1596849494284.jpg)
2回目は2場所後(1年後)関脇のときで
ある。9勝2敗で大関昇進を決めている。
このとき横綱玉錦は全休だった。男女ノ川は
このあと大関、横綱に昇進するが、ついに
1回も優勝できなかった。時代は玉錦、そし
てやがて双葉山に移り、男女ノ川に栄光が
めぐってくることはついになかった。
2人目が4代目朝汐である。昭和31年春場所
12勝3敗で初優勝している。その前後の成績
は以下で大関昇進につながらなかった。
小結 9勝6敗
関脇 9勝6敗
関脇 12勝3敗優勝
関脇 8勝7敗
関脇 8勝7敗
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/朝潮-e1596849522865.jpg)
ところがこの後昭和32年三月場所、2回目の
優勝を達成した。その直前の成績は必ずしも
よくないが、大関に昇進した。なお、2回目
の優勝では関脇にも関らず、三賞の受賞は
なかった。現代なら考えられない。
関脇 8勝7敗
関脇 13勝2敗優勝
その後大関で2回、横綱で1回優勝している。
5階優勝のうち4回は大阪で優勝している
ので大阪太郎と呼ばれた。
3人目は佐田の山である。入幕3場所目の
昭和36年五月場所、12勝3敗で初優勝した。
この場所横綱・大関は総崩れで、最高が大関
大鵬と関脇北葉山の11勝4敗だった。佐田の
山は前頭13枚目で横綱・大関戦はない。それ
どころか十両優勝の清ノ森に負けている。
幕内優勝力士は十両優勝力士より弱いと言わ
れた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/佐田の山晋松-1-e1596850240789.jpg)
佐田の山2回目の優勝は昭和37年関脇のとき
であった。当時大鵬は横綱3場所目で4連覇
中であった。関脇佐田の山は優勝決定戦の
すえ横綱大鵬に勝っての堂々たる優勝だった。
佐田の山は場所後大関に昇進した。大関で1回、
横綱で3回優勝している。対戦成績はともかく
大鵬戦は熱戦が多かった。
(この項目続く)
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