大相撲

関脇以下の2回優勝力士2

2020年8月9日

4人目は魁傑である。初優勝は昭和49年十一
月場所、小結のときであった。2敗の横綱
北の湖が千秋楽輪島に屈して3敗になり、
魁傑と優勝決定戦になった。輪島の敗戦を
引きずり、優勝決定戦への気負いという、
心の整理がつかないまま臨んだ魁傑戦は一方
的に攻められ敗退。こうして魁傑の優勝が
決定した。魁傑はこの優勝を生かし、翌場所
11勝をあげ、大関に昇進した。

<魁傑>

5場所で大関の座を明け渡した魁傑は降格
5場所後、平幕上位に位置し、14勝1敗で
再び優勝した。この優勝をきっかけに2場所
11勝を続け、大関に返り咲いた。このとき
若三杉(のちの2代目若乃花)も大関に昇進
した。魁傑の大関在位は短く、結局再大関も
4場所で終わっている。再降格後8場所幕内
を務め、引退した。

5人目は貴花田である。入門時から元大関
貴ノ花の息子として常に注目を浴びていた。
入幕から11場所目の平成4年一月場所、場所
前は予兆を抱く気配はないまま、平幕上位で
初優勝した。このときの日本中の熱狂は大変
なものだった。おじの二子山(元初代若乃花)
理事長最後の任期のときに賜杯を渡すことが
できたという運命的なときであった。

<貴花田>

貴花田は翌場所5勝10敗で敗退し、優勝は
大関に直結しなかった。ところが初優勝から
4場所後の九月場所、小結で2回目の優勝を
達成している。今度はこのあと10勝-11勝と
2ケタ勝利を続け、大関昇進を決めた。その
後大関で5回、横綱で15回優勝し、一代年寄
を贈られている。

6人目は琴錦である。琴錦の初優勝は平成
3年九月場所で貴花田より2場所早い。この
とき前頭5枚目であった。この場所、北勝海、
旭富士の両横綱は休場。大関小錦・霧島は
ともに琴錦に負けている。琴錦は貴花田、
若花田に負けただけの13勝2敗での栄冠で
あった。翌場所12勝3敗で好成績を残したが、
翌々場所7勝8敗で大関のチャンスを逃した。

<琴錦>

琴錦2回目の優勝は7年2場所後の平成10年
十一月場所であった。初優勝23歳のときから
年は流れ、2回目の優勝は30歳だった。この
とき前頭12枚目で平幕優勝2回という記録に
なった。この場所横綱曙は全休、横綱貴乃花、
大関貴ノ浪に勝ち、横綱若乃花に負けての
14勝1敗での優勝であった。大関武蔵丸戦は
なかった。このあと11場所幕内を務め、引退
している。関脇21場所、小結13場所在位の
強豪力士であった。

7人目御嶽海は記憶に新しいところである。
平成30年七月場所、関脇のとき13勝2敗の
成績で初優勝。その7場所後、大関を降格
してきた関脇貴景勝と優勝決定戦の末勝って
12勝3敗で優勝。またも関脇であった。とこ
ろが2回の優勝を大関に直結できないところ
が御嶽海の悩ましいところである。七月場所
は11勝した。大関を幻にしてはいけない。

<御嶽海>

8人目照ノ富士については既に触れた。正式
な優勝制度が始まって、関脇以下2回優勝
した力士は8人しかいない。そのうち4人が
横綱に2人が大関になっている。御嶽海が
関脇以下で優勝することがあれば3回という
新記録(珍記録?)になる。照ノ富士にも
チャンスはある。近年は予想外の優勝が生ま
れているだけに可能性はないとはいえない。

(この項目終わり)

式秀部屋の脱走の原因の知られざる情報が日刊スポーツに掲載。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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