2年2場所ぶりの幕内の照ノ富士。その照ノ
富士の優勝は驚きと賞賛と感動をもって受け
取られた。復活劇、約5年ぶりの優勝だが、
照ノ富士は具体的にどのような転落街道と
復活街道を歩んできたのか、改めてふり返っ
てみよう。
照ノ富士がひざのケガと糖尿病の病気にため、
休場が目立つようになったのは大関13場所目
からであった。その後の成績は以下である。
大関 1勝5敗9休
大関 1勝5敗9休
関脇 0勝5敗10休
前10 0勝8敗7休
十両 6勝9敗
十両 0勝9敗6休
幕下 全休
幕下 全休
三段目全休
三段目全休
8勝41敗69休とさんざんな成績で、番付は
序二段48枚目まで下げた。不戦敗を含めると
休場率は63%を占めている。それだけ、ケガ
と病気の治療に専念してきたわけである。
元大関は十両で取ることさえ珍しい。それが
力士養成員となる幕下以下は前代未聞であっ
た。ただ、序二段のとき年齢はまだ27歳で
あった。
序二段からの再出発はスピード復活だった。
序二段7勝
三段目6勝1敗
幕下 6勝1敗
幕下 6勝1敗
幕下 7勝 優勝
十両 13勝2敗優勝
十両 10勝5敗
55勝10敗で幕内復帰を果したのであった。
序二段から1年1場所を要しての返り咲き
であった。これだけでもりっぱなことである。
五月場所は新型コロナウイルスの非常事態
宣言で中止になった。迎えた七月場所。初日
から4連勝した。5日目、元大関の高安に
1敗したが、翌日若手のホープ琴勝峰に勝っ
てから7連勝と快進撃であった。13日目1敗
同士で大関朝乃山と対戦した。この一番で
朝乃山の左上手を切り、腕を返して堂々と
寄り切ってしまったのである。
14日目、関脇正代と対戦した。正代の意地が
制して照ノ富士は2敗となった。済んだこと
と切り替え、千秋楽3敗の御嶽海にのぞんだ。
負ければ優勝決定巴戦になる。照ノ富士は
立ち合いあたって左上手、右上手とはさみ
こむように引きつけ、一気に寄り切った。
優勝が決定した瞬間であった。苦労と苦悩の
連続のなかでつかんだ栄光であった。
照ノ富士は語った。「続けてきてよかった。
笑える日がくると信じてやってきました」
照ノ富士の相撲人生が再び輝いたときであっ
た。さらに来場所に向けて早く始動すると
いう。いっそう飛躍する照ノ富士見られる
かもしれない。
場所が終わっても多忙な日が続きます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。