2年2場所ぶりの幕内の照ノ富士。その照ノ
富士の優勝は驚きと賞賛と感動をもって受け
取られた。復活劇、約5年ぶりの優勝だが、
照ノ富士は具体的にどのような転落街道と
復活街道を歩んできたのか、改めてふり返っ
てみよう。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/200802千秋楽幕内-207-e1596500076558.jpg)
照ノ富士がひざのケガと糖尿病の病気にため、
休場が目立つようになったのは大関13場所目
からであった。その後の成績は以下である。
大関 1勝5敗9休
大関 1勝5敗9休
関脇 0勝5敗10休
前10 0勝8敗7休
十両 6勝9敗
十両 0勝9敗6休
幕下 全休
幕下 全休
三段目全休
三段目全休
8勝41敗69休とさんざんな成績で、番付は
序二段48枚目まで下げた。不戦敗を含めると
休場率は63%を占めている。それだけ、ケガ
と病気の治療に専念してきたわけである。
元大関は十両で取ることさえ珍しい。それが
力士養成員となる幕下以下は前代未聞であっ
た。ただ、序二段のとき年齢はまだ27歳で
あった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/190322十三日目十両幕下以下-066序二段-e1596500096500.jpg)
序二段からの再出発はスピード復活だった。
序二段7勝
三段目6勝1敗
幕下 6勝1敗
幕下 6勝1敗
幕下 7勝 優勝
十両 13勝2敗優勝
十両 10勝5敗
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/200126千秋楽十両幕下以下-1703十両-e1596500119464.jpg)
55勝10敗で幕内復帰を果したのであった。
序二段から1年1場所を要しての返り咲き
であった。これだけでもりっぱなことである。
五月場所は新型コロナウイルスの非常事態
宣言で中止になった。迎えた七月場所。初日
から4連勝した。5日目、元大関の高安に
1敗したが、翌日若手のホープ琴勝峰に勝っ
てから7連勝と快進撃であった。13日目1敗
同士で大関朝乃山と対戦した。この一番で
朝乃山の左上手を切り、腕を返して堂々と
寄り切ってしまったのである。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/200731十三日目幕内後半-435-e1596500138361.jpg)
14日目、関脇正代と対戦した。正代の意地が
制して照ノ富士は2敗となった。済んだこと
と切り替え、千秋楽3敗の御嶽海にのぞんだ。
負ければ優勝決定巴戦になる。照ノ富士は
立ち合いあたって左上手、右上手とはさみ
こむように引きつけ、一気に寄り切った。
優勝が決定した瞬間であった。苦労と苦悩の
連続のなかでつかんだ栄光であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/08/200802千秋楽幕内-1165-e1596500175266.jpg)
照ノ富士は語った。「続けてきてよかった。
笑える日がくると信じてやってきました」
照ノ富士の相撲人生が再び輝いたときであっ
た。さらに来場所に向けて早く始動すると
いう。いっそう飛躍する照ノ富士見られる
かもしれない。
場所が終わっても多忙な日が続きます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。