大相撲

20歳以下の新入幕力士11

■武蔵丸
小錦、曙に続く第3のハワイ勢として、平成
3年十一月場所20歳で入幕した。このとき
小錦は大関、曙は筆頭だった。新入幕、11勝
4敗で敢闘賞を受賞して、上位に進んだ。
ところが、上位で勝ち越していくのだ。上位
の壁などないが如く、小結になっても関脇に
なっても勝ち越していくのだ。ついに上位で
負け越し知らずのまま大関に昇進した。新
入幕から14場所を要した。22歳のときであっ
た。初優勝は大関3場所目で、若ノ花との
マッチレースとなったが、直接対決を制して
全勝優勝を達成した。23歳のときであった。

<武蔵丸>

しかし、大関時代が長かった、横綱になった
大関としては、琴櫻と同じ32場所在位であっ
た。稀勢の里が31場所で続いている。横綱に
昇進したのは28歳のときであった。後年、
貴乃花と優勝を争う存在になろうとはこの
ときは想像できなかった。

・平成11年十一月場所 
相星決戦 ○武蔵丸(11勝3敗)貴乃花
・平成13年一月場所
1差決戦 ●貴乃花14勝対武蔵丸13勝
決定戦 ○貴乃花(14勝1敗)武蔵丸
・平成18年五月場所
1差決戦 ●貴乃花13勝対武蔵丸12勝
決定戦 ○貴乃花(13勝2敗)武蔵丸
・平成14年九月場所
相星決戦 ○武蔵丸(12勝2敗)貴乃花

武蔵丸は予想以上に奮戦した。晩年は休場が
目立ち、32歳で引退した。

■貴ノ浪
武蔵丸同様平成3年十一月場所20歳で入幕
した。藤島(元貴ノ花)部屋ではすでに安芸
乃島、豊ノ海、貴花田、若花田、貴闘力が
幕内にがちんこ勢としていた。大関昇進も
武蔵丸と同じ平成6年三月場所だった。22歳
だった。相撲ぶりは長身とふところの深さを
生かしたやや大き過ぎる取り口であった。
優勝決定戦で同部屋の貴乃花を倒して2回の
優勝を飾っている。大関を1度落ち、直後の
10勝以上規定で復帰を果したものの、2度目
はそうはいかなかった。最後は平幕で取って
32歳で引退した。

<貴ノ浪>

■和歌乃山
平成4年五月場所、20歳で入幕した。曙・
若花田・貴花田・魁皇と同期である。5場所
後は再び十両、幕下まで番付を下げている。
新入幕後、幕内32場所、十両33場所、幕下
16場所と伸び悩んだ。三賞は敢闘賞を1回
受賞している。最高位は小結で1場所務めた。
最後は十両で全休して引退した。33歳まで
取った。

■魁皇
平成5年五月場所、20歳で入幕した。同期の
曙・若乃花・貴乃花より遅れて来た男だった。
入幕したとき、すでに曙は横綱、貴ノ花は
大関、若ノ花は関脇だった。力強い相撲、
右上手を取ると強さを発揮した。大関候補に
あがってきた。それでも時間はかかった。
小結11場所、関脇21場所務めている。大関
昇進は28歳のときであった。大関で4回、
通算で5回優勝しているが、最高位大関以下
では最多優勝回数である。

<魁皇>

同期の曙・若乃花・貴 乃花の誰よりも長持ち
したのが、魁皇である。それが通算最多勝利
数を成し遂げることにつながった。それは
苦闘の中から生まれた。平成23年七月場所、
魁皇は初日から3連敗。千代の富士の通算
最多勝利1045にあと1勝で並び、2勝で新
記録達成まで迫っていたが、ものすごく遠く
なってきた。4日目、魁皇が気力を振り絞っ
て豊ノ島に立ち向かい、勝利した。並んだ。
5日目、魁皇が左四つ十分の体勢で旭天鵬に
上手を与えず寄り切って通算勝利数1046勝を
あげ、新記録を達成した。この後安美錦から
最後の勝利をあげた。魁皇の体はすでに限界
を超えていた。この場所3勝8敗で引退した。
39歳であった。

■栃東
平成8年十一月場所20歳で入幕した。父は
技能力士栃東、明大中野高校の先輩に若貴が
いた。序ノ口から8場所で十両入りを果した。
十両は3場所で通過したほどのスピード出世
だった。三賞の常連であり、殊勲賞3回、
敢闘賞2回、技能賞7回であった。親子2代
の技能力士となった。平成14年一月場所、
新大関で優勝した。25歳のときであった。
平成15年十一月場所、2回目の優勝を成し
遂げるも、その後2度に渡って大関を落ちて
いる。直後の10勝以上の規定でともに復帰
した珍しい記録の持ち主である。平成18年
一月場所、最後の優勝を達成。30歳で引退
した。

<栃東>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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