双葉山が横綱として登場した昭和13年春場所
は、系統別総あたりであった。ところが昭和
15年から東西制に逆戻りした。その結果大関
照國戦は一番失われ、1番になった。また、
昭和18年から19年まで対戦側の方屋に大関が
いない時期があった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/双葉.jpg)
双葉山は69連勝中に横綱になっただけに、
大関戦いきなり8連勝した。連勝を止めたの
は大関前田山であった。昭和16年春場所は、
前田山の張り手旋風が吹き荒れた場所だった。
横綱双葉山は大関照國に負けた1敗と、計2
敗しかしていない。横綱の対大関戦は14勝
2敗の成績をあげた。大関前田山には5勝
1敗。大関鏡岩・安芸ノ海に4勝と負けな
かった。
羽黒山は双葉山の弟弟子で、戦後の相撲界を
支えた横綱であった。横綱最初の場所は東西
制であった。戦後、昭和22年秋場所から系統
別総あたり制が始まっている。息の長い横綱
だっただけに、対大関戦は30番に及んでいる。
成績は22勝8敗であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/羽黒山政司-e1592114208307.jpg)
大関佐賀ノ花に4勝2敗、大関前田山に3勝
2敗。このなかには優勝決定戦が含まれて
いる。千代ノ山には2勝3敗だった。また、
昭和27年春場所、羽黒山は15戦全勝優勝で
7回の優勝をしている。だが、この場所に
限って12勝3敗の大関吉葉山戦が組まれな
かった。急遽途中出場した横綱東冨士と羽黒
山が14日目に組まれてしまった。なお、立浪
と時津風は本家と分家の関係なので羽黒山対
鏡里戦は、最初から組まれなかった。
安芸ノ海は横綱として短命であった。対大関
戦は数が知れている。4勝3敗の成績を残し
た。
照國も東西制のなかで誕生した横綱であった。
対大関戦は羽黒山を超えた。35番である。
勝敗は23勝12敗である。佐賀ノ花に5勝5敗
(1不戦敗含む)、汐ノ海に3勝2敗、千代
ノ山・吉葉山に2勝2敗だった。昭和27年
春場所、横綱照國対大関鏡里は組まれなかっ
た。それは、横綱東冨士の途中出場が原因
だった。途中休場した東冨士は残り3日間
出場してきた。千秋楽は照國戦が組まれた。
そのため、横綱照國対大関鏡里戦は組まれ
なくなってしまったのである。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/06/照国.jpg)
さらにこの場所は大関千代ノ山対大関鏡里戦
もなかった。人迷惑な(?)横綱東冨士の
途中出場であった。
(この項目続く)
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