大相撲

小兵列伝3 初代若乃花

若乃花は入幕時77キロ、新小結で83キロ、
新大関で94キロ、最高でも107キロであった。
それでいて、150キロ級の照國、東富士、
鏡里、吉葉山、三根山、大内山、松登を相手
にしてきた。小さくても頭をつける相撲は
取らなかった。左四つ右上手を取れば強さを
発揮した。寄り、上手投げ、切り返し、右
四つで呼び戻しなどを鮮やかに決めた。

<若乃花のブロマイド>

栃錦が左四つでしか取れなかったのと違い、
若乃花は右四つでも取れた。右四つ得意の
横綱千代の山相手に17分の死闘を繰り広げた
ことがあった。若乃花が関脇のときである。
若乃花の取口を見ていると、若乃花の膝には
バネがある。と評したのは相撲評論家の彦山
光三氏であった。元来力士は足腰のよさが
着目されるが、膝のバネは新しい視点であっ
た。

若乃花は俵に足がかかると、攻め込まれても
受け止める。かかとに目があると称され、
動かなかった。若乃花はうっちゃり腰がない
ため、そこから相手の足の間に膝を入れて
一歩寄り返すのである。そのときの全身の
バネは鋼のようであったという。

<対鏡里戦のブロマイド>

若乃花の相撲の特徴に集中力がある。投げは
中途半端に打たない。決めるつもりで放つ。
だから決まる。若乃花の相撲は技の多彩さ
ではなく、地位とともに次第に洗練される
相撲であった。集中力と膝のバネなど類を
みない相撲に異能力士と彦山光三氏が命名
した。

膝のバネと集中力で、重量級であたりの強い
三根山、松登にいっぺんにもっていかれる
ことはなかった。もろ差し名人信夫山や鶴ケ
嶺相手に両まわしが引けなくても、俵に足が
かかれば、機を待ち上手を取って寄り返した。

<対三根山のブロマイド>

若乃花の花籠(元大ノ海)部屋は若乃花を
トップとする若手の集団であった。若乃花は
弟弟子の若ノ海、若秩父、若三杉を相手に
何十番も稽古をする。若ノ海が、息があがっ
たら、相手を若秩父にする。若秩父が疲れ
切ると相手を若三杉に代える。若乃花は
下の者を相手に何十番も続けて稽古してきた。
これが若乃花の強さの源であった。

<若乃花の稽古 ブロマイド>

後年二子山親方のときにこう言っている。
「相撲という字はけいこと読んでもいいの
です」横綱2代目若乃花・隆の里、大関貴ノ
花・若嶋津を育てた相撲哲学を知ることが
できる。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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