大相撲

横綱の連続優勝なし場所数1

3場所連続休場、負けた相撲に不安を感じ
させた横綱鶴竜は、三月場所を12勝3敗で
のりきった。鶴竜といえば、もう一つ気に
なる点がかつてあった。それは新横綱の場所
から8場所連続優勝なしでやきもくさせた
ことである。そこで横綱の連続優勝なし記録
を調べてみることにした。数字は横綱の自己
ワースト記録とした。

<横綱9場所目で横綱初優勝した鶴竜(右)>

その前に、優勝制度に触れておきたい。優勝
制度は大正15年から協会制定で始まった。
よく優勝力士一覧では、明治42年夏場所の
国技館開設以降から掲載されていることが
ある。それは時事新報社が個人最高成績力士
の額を国技館に掲げる制度である。取り直し
制度、不戦勝不戦敗制度がなかった時代で
ある。対戦相手が休場すると自分の星取り表
にも「や」がついた時代であった。

3代目西ノ海と常ノ花は横綱在任中に優勝
制度が始まった。3代目西ノ海は優勝がなく、
10場所連続優勝なしであった。このなかに
8場所連続休場がある。横綱時代でも15場所
中3場所しか皆勤がなく、実に休場の多い
横綱であった。常ノ花は優勝が7回あり、
連続優勝なしは4場所であった。

<常ノ花のブロマイド>

宮城山は昭和2年の東西合併により、大阪
からきた横綱であった。実力は小結程度と
いわれた。それでも2回優勝した。2回目の
優勝の翌場所から引退した場所まで9場所
連続優勝なしを記録した。4場所休場と負け
越しが2場所あった。玉錦は双葉山が優勝
するまで第一人者であった。双葉山が連続
全勝優勝を始めると、優勝はなくなった。
その時期から現役で亡くなるまで5場所連続
優勝なしがある。

武蔵山は悲劇の横綱であった。昭和6年10月、
沖ッ海戦で右腕に受けた頭突きが災いした。
この一撃で右腕は破壊された。翌日から休場
した。そのケガが横綱になって再発し、満足
に土俵が務められなかった。皆勤はわずか
1場所、それも千秋楽に勝ち越すありさまで
あった。横綱在位8場所優勝なしであった。
男女ノ川は春秋園事件で脱退したが、協会に
復帰した力士である。巨人で太刀山以来の
強豪といわれた。だが、伸び悩み、横綱在位
12場所、ついに優勝はなかった。

<武蔵山のブロマイド>

無敵双葉山は、横綱時代9回優勝、そのうち
5回全勝優勝をしている。しかし、双葉山は
記録を目指した横綱ではなかった。相撲を
通して自己の限界に邁進した力士であった。
相手が立てばいつでも立つ立ち合いは、驚異
的である。また、極意後の先の立ち合いを
完成させた。その双葉山が優勝から遠ざかっ
たのは晩年5場所である。

<双葉山のブロマイド>

(この項目続く)

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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