3場所連続休場、負けた相撲に不安を感じ
させた横綱鶴竜は、三月場所を12勝3敗で
のりきった。鶴竜といえば、もう一つ気に
なる点がかつてあった。それは新横綱の場所
から8場所連続優勝なしでやきもくさせた
ことである。そこで横綱の連続優勝なし記録
を調べてみることにした。数字は横綱の自己
ワースト記録とした。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/150927千秋楽表彰-677-e1587083093333.jpg)
その前に、優勝制度に触れておきたい。優勝
制度は大正15年から協会制定で始まった。
よく優勝力士一覧では、明治42年夏場所の
国技館開設以降から掲載されていることが
ある。それは時事新報社が個人最高成績力士
の額を国技館に掲げる制度である。取り直し
制度、不戦勝不戦敗制度がなかった時代で
ある。対戦相手が休場すると自分の星取り表
にも「や」がついた時代であった。
3代目西ノ海と常ノ花は横綱在任中に優勝
制度が始まった。3代目西ノ海は優勝がなく、
10場所連続優勝なしであった。このなかに
8場所連続休場がある。横綱時代でも15場所
中3場所しか皆勤がなく、実に休場の多い
横綱であった。常ノ花は優勝が7回あり、
連続優勝なしは4場所であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/常の花★-e1587083112125.jpg)
宮城山は昭和2年の東西合併により、大阪
からきた横綱であった。実力は小結程度と
いわれた。それでも2回優勝した。2回目の
優勝の翌場所から引退した場所まで9場所
連続優勝なしを記録した。4場所休場と負け
越しが2場所あった。玉錦は双葉山が優勝
するまで第一人者であった。双葉山が連続
全勝優勝を始めると、優勝はなくなった。
その時期から現役で亡くなるまで5場所連続
優勝なしがある。
武蔵山は悲劇の横綱であった。昭和6年10月、
沖ッ海戦で右腕に受けた頭突きが災いした。
この一撃で右腕は破壊された。翌日から休場
した。そのケガが横綱になって再発し、満足
に土俵が務められなかった。皆勤はわずか
1場所、それも千秋楽に勝ち越すありさまで
あった。横綱在位8場所優勝なしであった。
男女ノ川は春秋園事件で脱退したが、協会に
復帰した力士である。巨人で太刀山以来の
強豪といわれた。だが、伸び悩み、横綱在位
12場所、ついに優勝はなかった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/武蔵山 -e1587083127833.jpg)
無敵双葉山は、横綱時代9回優勝、そのうち
5回全勝優勝をしている。しかし、双葉山は
記録を目指した横綱ではなかった。相撲を
通して自己の限界に邁進した力士であった。
相手が立てばいつでも立つ立ち合いは、驚異
的である。また、極意後の先の立ち合いを
完成させた。その双葉山が優勝から遠ざかっ
たのは晩年5場所である。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/横綱双葉山-1-e1587083143280.jpg)
(この項目続く)
いきなり全国が非常事態宣言に驚き。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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