豊ノ島が引退した。昨年の七月場所幕内から
5場所連続負け越しで、最後は幕下だった。
36歳になっていた。6月末には37歳になる。
ここから十両復帰を目指すのは、限界であっ
た。豊ノ島の決断を尊重したい。本当にお疲
れ様でした。約18年の土俵人生であった。
改めて豊ノ島の相撲人生を振り返ってみたい。
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豊ノ島は中学からではあるが、相撲少年で
あった。これは力士を目指す上で財産になる。
入門は高校卒業前で時津風部屋に入門した。
当時の時津風は元大関の豊山であった。新
弟子検査では体格が足りず、運動能力の第二
検査で合格した。検査項目は以下である。
背筋力
ハンドボール投げ
握力
上体おこし
垂直とび
反復横とび
50メートル走
シャトルラン
なお、第二検査は2001年から2012年まで実施
されたが、現在は行われていない。
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相撲経験がものをいって2002年序ノ口、序二
段で優勝した。13場所かかって十両を決めた。
2年1場所だからかなり早い出世である。
白鵬は16場所、鶴竜は24場所かかっている。
成績は61勝30敗である。負け越しは三段目で
1回、幕下で2回ある。十両は2場所で突破
した。これも早い。ちなみに白鵬は2場所、
鶴竜は5場所要している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/06初 二日目-112-e1587175638729.jpg)
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/豊ノ島2A-1024x344.jpg)
2006年七月場所まで順調に出世街道を歩んで
きた豊ノ島であったが、ここから低迷した。
幕内に定着できないのである。新入幕の場所、
負け越して十両降格。1場所で幕内に戻って
も4場所しか維持できない。再び十両へ。
ここで豊ノ島は初日から13連勝し、全勝優勝
かと思わせた。だが、14日目新十両の把瑠都
に負け、惜しくも14勝1敗の優勝となった。
その把瑠都が3場所後、北の富士以来の十両
全勝優勝をするのだから、歴史の妙という
しかない。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/06春-038把瑠都VS隆乃若-e1587175662876.jpg)
豊ノ島が幕内に定着したのは、2005年十一
月場所からである。と言っても十一月場所は
7勝8敗。2006年は横綱・大関戦がないにも
関らず、42勝48敗であった。負け越している
のである。つまり、なんとか幕内を維持して
いるに過ぎなかったのである。豊ノ島が様変
わりしたのは、2007年からであった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2020/04/豊ノ島3A-1024x350.jpg)
(この項目続く)
雨の日です。
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