大相撲

忘れられない新弟子暴行死事件

2019年10月26日

呼出拓郎さんの退職がスポーツ新聞に小さな
記事で伝えられていた。暴行による処分で
去りゆく者は後をたたない。平成26年の春日
野部屋で兄弟子が弟弟子に顎を骨折する事件
は、処分によるものではないが、両者とも
すでに相撲界を去っている。

ところで、今十両で活躍する力士に旭秀鵬が
いる。この旭秀鵬の同期の力士が前相撲だけ
で、序ノ口の土俵に上がることなく亡くなっ
ているのだ。それも親方はじめ3人の幕下
の兄弟子による暴行死というショッキングな
事件であった。その力士の名は時津風部屋の
時太山である。
070520幕下以下 057
<前旭秀鵬 後ろ時太山>

事件のいきさつはこうだ。17歳の時太山は
稽古や人間関係に悩み、脱走することがよく
あった。しかし、父親に説得され、やむなく
部屋に戻っていた。「僕いい子になるから」
と実家に帰ることを懇願したこともあった。

元双津竜の時津風はそんな新弟子に業を煮や
した。2007年6月26日、時太山を名古屋場所
用の稽古場でしごいた。ぶつかり稽古を30分
やらせるなど尋常でなかった。親方自らが
ビール瓶でなぐり、幕下の3人の兄弟子が
金属バットで殴打するなど凄惨を極めた稽古
となった。関取はこの日力士会のため誰も
いなかった。
070520幕下以下 060
<時太山>

意識を失った時太山は病院に運ばれたが、
1時間後に帰らぬ人となっていた。元双津竜
の時津風は、遺体はこちらで火葬してお戻し
しましょう、と遺族に申し出、あまりの非
常識ぶりに親族を憤慨させている。遺体は
殴打の外傷が目立ち、死因特定のために解剖
された。

当時理事長だった北の湖は「人一人の命は
重い」と事件を深刻に受け止めていた。元
双津竜の時津風は自分への保身ばかりが目に
付いていた。時津風が解雇になったのは10月
5日であった。後に元双津竜の時津風と3人
の兄弟子の有罪が確定した。
0710時津風部屋 002
<シャッターを占めた時津風部屋の前
に置かれたのはビ-ル瓶と金属バット>

この当時は暴行に関して特別な決め事や罰則
は、なかった時代である。それでも人が亡く
なるという悲惨さをけして忘れてはいけない。

暗くなるのが早い季節です。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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