大相撲

35年目を迎えた両国国技館

2019年4月22日

新しい元号令和の始まりが迫ってきている。
両国国技館は昭和、平成、令和と3つの元号
を迎えることになる。両国国技館は昭和60年
からスタートした。北の湖は新しい国技館で
相撲を取らんと粘ったが、2日間出場して、
引退した。
151222k北の湖協会葬 001
<両国国技館>

両国国技館は今年で35年目をむかえた。老朽
化のきざしはない。両国国技館は大相撲の
常設館として、耐用性のある建物として、
これから先も使用され続けることになって
いくと思われる。

駅に近く、便利である。難は2階がかなり
急である。それは通路階段を見るとはっきり
わかる。建物の敷地面積が蔵前国技館より、
狭かったとしかいいようがない。人によって
はマス席が狭く感じるようになってきている
点もあげられる。

大相撲は最初に旧両国国技館を建設した。
雨や風に影響されない興行が可能となった
だけに画期的なことであった。目的は天候
だけでなく、外国人にきちんとしたカタチで
観戦していただくことも含まれていた。明治
42年夏場所のことである。

絵葉書 両国国技館

<旧両国国技館の絵葉書>

完成した旧両国国技館は、火災がつきもの
だった。大正6年年に火災で全焼した。
大正9年に再建したのもつかの間、大正12
年の関東大震災で再び焼失してしまう。大正
14年再々建した。太平洋戦争の開始ととも
に陸軍に接収される運命となった。昭和20
年の東京大空襲でまたも焼失してしまう。

こうみてくると旧両国国技館は約32年弱しか
使用されなかったことになる。
絵葉書 蔵前国技館
<蔵前国技館の絵葉書>

蔵前国技館が完成し、使用され始めたのは
昭和29年秋場所からである。戦闘機工場の
鉄骨の払い下げによって建設された。蔵前
国技館は、夏は暖房、冬は冷房といわれ、
冷暖房設備のない時代が長かった。冷暖房
設備は昭和46年から使用された。蔵前国技館
は結局約30年しかもたなかったことになる。

現在の両国国技館はすでに2つの国技館を
超え、さらにこれからも使用し続けていけ
そうである。

暑くなってきました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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