新しい元号令和の始まりが迫ってきている。
両国国技館は昭和、平成、令和と3つの元号
を迎えることになる。両国国技館は昭和60年
からスタートした。北の湖は新しい国技館で
相撲を取らんと粘ったが、2日間出場して、
引退した。
両国国技館は今年で35年目をむかえた。老朽
化のきざしはない。両国国技館は大相撲の
常設館として、耐用性のある建物として、
これから先も使用され続けることになって
いくと思われる。
駅に近く、便利である。難は2階がかなり
急である。それは通路階段を見るとはっきり
わかる。建物の敷地面積が蔵前国技館より、
狭かったとしかいいようがない。人によって
はマス席が狭く感じるようになってきている
点もあげられる。
大相撲は最初に旧両国国技館を建設した。
雨や風に影響されない興行が可能となった
だけに画期的なことであった。目的は天候
だけでなく、外国人にきちんとしたカタチで
観戦していただくことも含まれていた。明治
42年夏場所のことである。
<旧両国国技館の絵葉書>
完成した旧両国国技館は、火災がつきもの
だった。大正6年年に火災で全焼した。
大正9年に再建したのもつかの間、大正12
年の関東大震災で再び焼失してしまう。大正
14年再々建した。太平洋戦争の開始ととも
に陸軍に接収される運命となった。昭和20
年の東京大空襲でまたも焼失してしまう。
こうみてくると旧両国国技館は約32年弱しか
使用されなかったことになる。
蔵前国技館が完成し、使用され始めたのは
昭和29年秋場所からである。戦闘機工場の
鉄骨の払い下げによって建設された。蔵前
国技館は、夏は暖房、冬は冷房といわれ、
冷暖房設備のない時代が長かった。冷暖房
設備は昭和46年から使用された。蔵前国技館
は結局約30年しかもたなかったことになる。
現在の両国国技館はすでに2つの国技館を
超え、さらにこれからも使用し続けていけ
そうである。
そうである。
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