大相撲

その後の横綱の優勝率

2019年4月17日

横綱の優勝率は約4年前に触れている。当時
現役だった日馬富士は、今なら固定評価でき
るし、その後横綱になった稀勢の里も同様で
ある。また、休場が増えた白鵬の横綱優勝率
はどう変化したのか。優勝回数を増やした
鶴竜の横綱優勝率はどう変わったのか、みて
いこう。
横綱優勝率1A
横綱優勝率2A
横綱優勝率は次の数式によるものである。
横綱優勝率=横綱優勝回数/横綱在位場所数
対象は横綱が実質地位化した常陸山以降で
ある。明治42年国技館開設以降の時事新報社
が幕内最高成績者の額を国技館に掲げた表彰
を含めている。
190324千秋楽表彰 1604
<横綱優勝率第1位の白鵬(右)>

白鵬のトップは変わらない。前回の6割7分
4厘より数字を落としているが、トップは
変わらない。最近の白鵬は休場が目立って
いるだけに、数字が落ちるのはやむを得ない。
だが、それでもトップなのは驚異である。

横綱で3場所に1回優勝すると 横綱優勝率
は3割3分3厘になる。それを超えた横綱は
白鵬、朝青龍、双葉山、太刀山、大鵬、千代
の富士、栃木山、常ノ花、玉の海、北の湖、
大錦、玉錦とわずか12人しかいない。いずれ
も横綱中の横綱である。
090927千秋楽幕内 2474
<横綱優勝率第2位の朝青龍>

柏鵬時代という表現を使われる方がいるが、
大鵬と柏戸の差は明白である。実質は大鵬
時代だったのである。栃錦と初代若乃花は
互角のライバルだが、横綱の優勝率に関して
は初代若乃花が上であった。
大鵬!
<横綱優勝率第4位の大鵬>

横綱優勝が2回、1回、0回となると横綱の
あり方が問われてくる。横綱推挙の第一項、
「品格・力量抜群」が本当に審議されている
のか。あるいは横綱を引退するとき立派に
務めた横綱に「大横綱」か「名横綱」として
の称号を与えるなど区別する必要がある、と
考えているがいかがだろうか。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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