大相撲

幕内横綱・大関対戦圏外の好成績者 東西制1

2019年4月5日

優勝制度が正式に始まったのは、大正15年
からである。協会は優勝確立のために不戦勝
制度を設けた。今までは、対戦相手が休場
すると、自分も「や」扱いされた。そして
段階的ではあるが取り直し制度も導入された。
しかし、幕内で横綱・大関と対戦圏外で優勝
争いをしている力士に関しての規定はなかっ
た。
181125千秋楽表彰 002
<賜杯>

横綱・大関との対戦圏外といっても東西制
では現代と異なる。東西制においては、東方
力士は西方力士としか対戦せず、西方力士は
東方力士としか対戦しない。そのため、例え
ば11日制の大正15年春場所では東方は前頭
5枚目までが横綱・大関との対戦圏内であり、
西方は横綱西ノ海はじめ4力士が全休のため、
前頭10枚目までが横綱・大関との対戦圏内で
ある。

また優勝決定戦制度はなく、同成績の場合は
番付上位者が優勝者となる。下位力士は並ん
だだけでは優勝できないのである。以上を
踏まえて横綱・大関対戦圏外の好成績者を
見ていこう。彼らは必ずしも優勝争いに加わ
っているとはいえないケースもある。だが、
便宜上すべて掲載したことをお断りしておく。
幕内中位以下1A
大正15年春場所第1回の優勝は横綱常ノ花が
11戦全勝で優勝した。しかし、翌場所早くも
横綱・大関との対戦がない優勝が出てしまっ
た。前頭8枚目の大蛇山である。大蛇山は
終盤小結福柳、関脇常陸岩と対戦しているが、
大関大ノ里戦はついになかった。また同成績
の錦洋とは同じ方屋のため、対戦がなかった。
上位の最高成績は横綱西ノ海の9勝2敗である。
大 蛇 山
<大蛇山のブロマイド>

昭和2年の東西合併後の場所では、新入幕
の星甲が8勝3敗と好成績をあげた。だが、
横綱・大関の対戦圏内に9勝2敗が一人、
8勝3敗が2人いた。星甲は実質第5位の
成績に相当する。それは翌場所の一ノ濱も
同様で実質5位であった。

そして昭和3年春場所、思いもよらない展開
が待っていた。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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