一月場所は3横綱全員で初日からスタート
したが、それはくずれていって結局3横綱
全員が不在となった。まず、4日目、稀勢の
里が3連敗のあと引退を表明した。続いて
2勝3敗と不調の鶴竜が6日目から休場した。
前半危ない相撲をしのぎ、10連勝と優勝戦線
のトップを走っていた白鵬が11日目から3連
敗して休場した。こうして3横綱は不在と
なった。
<稀勢の里>
思いおこせば昨年の七月場所、十一月場所は
3横綱休場とかなり常態化していたともいえ
る。白鵬、鶴竜、稀勢の里の3横綱時代は
平成30年一月場所から始まっているから、
7場所中3場所も一人の横綱の皆勤さえ
なかったことになる。
横綱が実質地位化した常陸山以降、3横綱
時代は数々あるが、明治・大正時代に3横綱
全員不在の場所はない。また昭和戦前もない。
初めて3横綱全員が不在となったのは、昭和
23年秋場所である。この場所、羽黒山全休、
照國2勝5敗4休、前田山3勝6敗2休の
成績であった。この場所は関脇増位山が初
優勝している。
<羽黒山のブロマイド>
次に3横綱全員が不在となったのは、昭和25
年春場所である。この場所、羽黒山6勝4敗
5休、照國2勝2敗11休、東富士6勝6敗
3休の成績となった。羽黒山と東富士は再
出場している。優勝は大関千代の山が連続
優勝を達成している。
3例目は平成に入ってからである。平成11年
三月場所である。曙全休、貴乃花8勝3敗
4休、若乃花5勝5敗5休の成績を残して
いる。この場所は大関武蔵丸が4回目の優勝
を成し遂げている。なお、4横綱中3横綱
不在はここでは別枠として扱うので取り上げ
ないことにする。
<曙>
これに前記の3回が加わることになる。横綱は
看板である。それが不在では看板に偽りあり
である。
大阪の相撲仲間からメールが届きました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
↑↑↑↑↑↑↑↑