大相撲

3横綱全員不在となった場所

2019年2月4日

一月場所は3横綱全員で初日からスタート
したが、それはくずれていって結局3横綱
全員が不在となった。まず、4日目、稀勢の
里が3連敗のあと引退を表明した。続いて
2勝3敗と不調の鶴竜が6日目から休場した。
前半危ない相撲をしのぎ、10連勝と優勝戦線
のトップを走っていた白鵬が11日目から3連
敗して休場した。こうして3横綱は不在と
なった。
170127稀勢の里明治神宮 007
<稀勢の里>

思いおこせば昨年の七月場所、十一月場所は
3横綱休場とかなり常態化していたともいえ
る。白鵬、鶴竜、稀勢の里の3横綱時代は
平成30年一月場所から始まっているから、
7場所中3場所も一人の横綱の皆勤さえ
なかったことになる。

横綱が実質地位化した常陸山以降、3横綱
時代は数々あるが、明治・大正時代に3横綱
全員不在の場所はない。また昭和戦前もない。
初めて3横綱全員が不在となったのは、昭和
23年秋場所である。この場所、羽黒山全休、
照國2勝5敗4休、前田山3勝6敗2休の
成績であった。この場所は関脇増位山が初
優勝している。

羽黒 山
<羽黒山のブロマイド>

次に3横綱全員が不在となったのは、昭和25
年春場所である。この場所、羽黒山6勝4敗
5休、照國2勝2敗11休、東富士6勝6敗
3休の成績となった。羽黒山と東富士は再
出場している。優勝は大関千代の山が連続
優勝を達成している。

3例目は平成に入ってからである。平成11年
三月場所である。曙全休、貴乃花8勝3敗
4休、若乃花5勝5敗5休の成績を残して
いる。この場所は大関武蔵丸が4回目の優勝
を成し遂げている。なお、4横綱中3横綱
不在はここでは別枠として扱うので取り上げ
ないことにする。
曙
<曙>

これに前記の3回が加わることになる。横綱は
看板である。それが不在では看板に偽りあり
である。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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