大相撲のチケットはいまや数時間で完売する
ほど入手が困難になっている。暴行事件や
貴乃花が離職しようとも、人気にいささかの
変化はない。過熱ぶりは少しも衰えない。
ところが今から約52年半前の昭和41年名古屋
場所展望号には「こうすれば大相撲はおも
しろくなる」という特集が組まれているので
ある。

<専門誌 大相撲>
昭和41年五月場所終了時点で、横綱は大鵬、
柏戸、佐田の山、栃ノ海の4横綱時代であっ
た。大鵬は新入幕から5年半たっていた。
優勝は大鵬20回、柏戸・佐田の山4回、栃ノ
海3回と大鵬が圧倒していた。
人気は千秋楽でさえさんざんであった。専門
誌「大相撲」によると五月場所協会挨拶時点
でマス席は4分の入り、2階席は2分の入り
であった。現在では考えられないくらいの
不人気ぶりである。テレビ視聴率も低迷して
いた。現代の過熱人気しか知らない相撲ファ
ンにとっては、考えられないほどの冬の時代
であった。
「大相撲」はさらに新しい英雄はすぐには
望めないとした上で次のことに触れている。
中学生がやりたいスポーツ、テレビを含めて
見るスポーツから見放されていると指摘して
いる。

<一月場所の案内>
その上でもっと宣伝しようと提言している。
「大相撲ほど宣伝ということに無関心な団体
もまずないだろう。」と書いている。いま
ならポスター、案内、サイトと1年間の日程
が刷られた大相撲カレンダーまである。当時
は皆無であった。ポスターが登場するのは
翌年からである。
(この項目続く)
荷物を福岡に送りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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