大相撲

稀勢の里に忍び寄る影

2018年5月7日

稀勢の里は本調子ではない。稀勢の里は五月
場所を休んだほうがいい。いまや稀勢の里の
出場に誰もが不安を口にする。もはや6場所
連続優勝の稀勢の里には後はない。今度出場
すれば進退をかけることになる。ここへきて
風邪で体調が悪いまで加わった。それだけに
中途半端に出場してほしくないと相撲ファン
は願う。
180503幕内稽古 767
<稀勢の里と鶴竜の稽古>

そこまではいい。しかし今場所休場したと
しても、問題は先送りされるだけである。
今後出場できるだけの状況をつくりだせる
のだろうか。力負けしないパワーの復活、
左四つ十分な相撲。要するに稽古十分で自信
がもてる相撲である。

実は、稀勢の里とある横綱の影が重なりつつ
あるのでは、と危惧している。その横綱は
武蔵山である。戦前、玉錦後の横綱である。
右差しの寄り、下手投げ、強靭な足腰でたち
まち、大関、横綱とスピード出世をとげた。
モダンな容貌と筋肉質な体型が加わり、人気
も抜群だった。
武蔵山 
<武蔵山のブロマイド>

しかし、昭和6年小結時代初優勝の翌場所に
悲劇はおきた。沖ツ海のぶちかましに右ひじ
は破壊されてしまった。その右ひじは横綱に
なって悪化した。そのため横綱時代は7場所
休場。皆勤は1場所で7勝6敗だった。
170324十三日目幕内 554
<H29年3月 日馬富士戦で負傷した稀勢の里>

武蔵山の悲劇が稀勢の里にも忍び寄っている
のではないかという懸念がぬぐえない。稀勢
の里の休場の始まりは、新横綱の場所で左肩
と胸部を負傷したことである。救急車で病院
に直行するほどの大ケガだった。それなのに
中途半端に出場して、負けが込むと休場を
繰り返した。稀勢の里は武蔵山の運命を辿る
のか。

今の稀勢の里に足りないのは必死さである。
必死さがまるで伝わってこない。これなし
には再起はありえない。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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