大相撲

大英断!幕内・十両の大幅枚数削減

2018年4月25日

現在幕内の人数は42人、十両は28人である。
平成14年十一月場所では幕内40人、十両26人
であった。平成15年から北の湖理事長が公傷
制度廃止を決定した。これは常に休場者が
出る現状に楔を打つためであった。その救済
措置として一月場所から幕内を2人、十両を
2人増員した。八百長による関取減のとき
一時的に幕内40人、十両26人になったこと
はあるが、その後幕内の人数は42人、十両
は28人で今に至っている。
140510夏初日前日 031
<北の湖理事長>

ところが、規模としてはこれ以上ない番付
大削減案が示された時代があった。昭和42年
三月場所前、時津風(元双葉山)理事長の
部屋別総当たりに続く大改革であった。実施
は五月場所からである。それが以下である。
幕内40人→34人
十両36人→26人
幕下約200人→120人前後

削減だけでなく、次のことが付け加えられた。
1.「初土俵から5年で幕下に昇進でき
なかった者は廃業か師匠の自費で養成」を
廃止する。
2.十両以上の退職金、幕下以下の場所手当
て、部屋の維持費の増額。
S42夏
<昭和42年大相撲 夏場所展望号 読売新聞社刊>

関取が一挙に16人マイナスという大幅減で
ある。とりわけ十両力士は残留か幕下陥落か
で深刻な状況であった。この事態に3月5日
の力士会は通常30分以内に終わるところが、
2時間近くかかった。その結果、以下を協会
に申し入れた。
1.場所数をかけて段階的に減らしていく
2.犠牲者の補償をする

しかし、力士会の申し入れは受け入れられ
なかった。そのため五月場所から実施される
ことになった。幕内は負け越した6人がその
まま十両落ちした。十両は16人が幕下落ちの
ため、過酷で悲惨な結果が待ち受けていた。
東8枚目小城ノ花7勝
東12枚目安芸の國8勝
東15枚目前田川 9勝
以上の成績でも幕下に落ちた。新鋭高見山は
十両東18枚目で10勝5敗の成績を残し、十両
尻の東13枚目に残った。
昭和42年夏
<昭和42年五月場所の番付>

小城ノ花は幕下に落ちて全休し、引退した。
前田川は1場所取って廃業した。ほかにも
幕下に落ちた天津風、清の盛、若杉山がやめ
ていった。昭和42年の五月場所後は引退・
廃業が56人にも及ぶ記録的な数字を残した。

時津風理事長は力士数500人を理想として
いた。そのための少数精鋭と経費削減であっ
た。ただほとんどの時代、関取数より年寄数
が多いというのは、どうにも理解しがたい
ところである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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