大相撲

稀勢の里復帰への道

2018年3月8日

横綱稀勢の里の休場が正式に決定した。これ
で6場所連続休場である。1勝5敗9休と
惨敗して、途中休場した一月場所からでは
十分な稽古とはいかなかった。稀勢の里は
もう後がないのだから、休場もやむを得な
かった。
170218稀勢牛久パレード 266
<牛久の稀勢の里>

ただし、必死になって復帰をはかろうという
姿勢はあまり伝わってこない。いたずらに
時間を過ごしていては、復帰はできない。
納得のいく稽古を積み重ねなければ、いつ
までたっても自信はつかない。

横綱は常に優勝争いをし、最低でも12勝を
要求される。常人にはできないことである。
それを成しえるのは猛稽古しかない。大関や
関脇以下と同じ稽古量では話しにならない。
それでなくても現代は稽古量が少ない。
170122千秋楽パレード 068
<歓喜にわいた稀勢の里初優勝>

栃木山は「大関は三役の倍稽古しろ、横綱は
大関の倍稽古しろ」と語っている。初代若乃
花は「苦しくなってやめてしまうのでは稽古
にならない。それを超えてやれば、本場所で
長い相撲になれば、勝てるという思いがあっ
た」とふり返っている。

稀勢の里は、そうした稽古は年齢的にきつい
かもしれない。しかし、あきらめたらそこで
終わりである。人事を尽くして天命を待つ。
そんな心境になって場所を迎えていただき
たい。

冷たい雨の1日でした。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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