大相撲

阿炎の出世街道

2018年1月7日

阿炎が序ノ口から27場所かかって新入幕を
果たした。4年半だからけして遅いわけでは
ない。むしろ早いほうである。しかし、新入
幕などとうてい考えにくい時期があった。
阿炎はどのような出世街道を歩んできたのか
ふり返ってみよう。
あび
阿炎は堀切の四股名で平成25年七月場所に
序ノ口デビュー。幕下までは4場所と、とん
とん拍子で番付を上げていく。この辺は少年
相撲、中学相撲、高校相撲に取り組んできた
経験が生かされている。幕下に上がって3勝
4敗と、初めて負け越した。それでも幕下は
6場所で突破している。
130929千秋楽十両 645
<H25年9月 序二段優勝>

10場所(負け越し2場所)、51勝19敗勝ち点
32で十両に昇進した。ここで四股名を阿炎に
改めた。ところが、十両は苦戦続きであった。
師匠の元寺尾のような相撲を目指すが、突っ
張りにまだ威力がなかった。結局十両は4場
所しかもたなかった。十両降格力士は、すぐ
に十両に戻らないと幕下に定着する傾向が
ある。阿炎は幕下に定着してしまった。十両
復帰は容易でないことが予想できた。
170924千秋楽十両幕下以下 1083
<H29年9月十両優勝決定戦で琴勇輝を倒して優勝>

幕下に落ちての最下位は28枚目まで降下して
いる。ここから幕下優勝を含め、3場所で
十両に復帰した。再十両まで10場所かかって
しまった。再十両はすべて勝ち越し。優勝含め、
3場所で入幕を達成した。突っ張りの威力が
ついてきた。もっか6場所連続勝ち越し中で
ある。

阿炎はまだ23歳である。きびきびした相撲で
これから新たな出世街道を歩むが、期待され
る逸材である。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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