6場所制の大横綱というと誰をイメージする
だろうか。横綱の代でいうと大鵬以降の横綱
になる。異論が少ないのは、大鵬、北の湖、
千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬ではない
だろうか。いずれも20回以上優勝し、時代を
築いた横綱達である。その功績は相撲ファン
ならよくご存知であるから、ここでは繰り
返さない。取り上げるのは、幕下以下の出世
街道である。まず、以下をご覧いただきたい。
抜きに出ている。1年半で関取というすばら
しさである。これだけの短期間だが、すべて
勝ち越しとはいかない。貴乃花も朝青龍も
幕下時代ともに1度負け越している。
大鵬が幕下以下の頃は8番取っていた。それ
にしても勝ち-負け=○60というのは、現代
では考えられない。今ならだいたい勝ち-
負け=30台で新十両になれる。大鵬は幕下
以下のとき大勝が多かった。それにも関らず、
○60となるのは上げ幅が小さかったとしか
いいようがない。ちなみにライバル柏戸は
幕下以下を勝ち-負け=○36で新十両になっ
ている。
北の湖は中学生力士であった。相撲部屋から
中学に通っていた。これは現在禁止されて
いる。北の湖と千代の富士が他の大横綱より、
場所数がかかっているのは、負け越した場所
が、北の湖が6場所、千代の富士が5場所と
多いからである。千代の富士には全休さえ
ある。北の湖は若く、後に最年少横綱の記録
をつくっているほどである。
大横綱の幕下以下の出世街道は6者6様で
ある。あまり取り上げられることはないだけ
に記憶の片隅にでも置いていただければ幸い
である。
関西、北海道から名古屋入りする方が
います。
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よしなに
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