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不滅の?満員御礼連続666日

現在は相撲ブームである。チケットは過熱
競争で、会場は連日満員札止めである。しか
し、今とは比べ物にならないほどの空前の
相撲ブームがかつてあった。
昭和63年、元大関貴ノ花の藤島部屋に2人の
息子が入門してきた。それは、がぜん相撲
ファンの関心を高めた。自宅から荷物を抱え
て同じ建物の幕下以下の大部屋へ引っ越す
姿が焼きついた。2人は若花田、貴花田の
名前で前相撲から注目を集めた。同期に若貴
に対抗する曙がいた。魁皇も同期であった。
若貴フィーバーの始まりである。若花田、
貴花田、曙の出世争いは見ごたえがあった。
2人が国技館に出かけるため、親方に挨拶
するところから映像が流れたほどである。
貴花田が幕下最年少優勝を決め、新十両が
決定した。満員御礼666日連続は貴花田が
十両入りした平成元年十一月場所11日目から
始まった。その貴花田を追って曙、若花田が
2場所後に十両入りした。
貴n0hana
<伯父二子山(元若乃花)から賜杯を受ける貴花田
人気がさらに沸騰したのが、貴花田初優勝の
ときであった。それは何の前触れもなく、
突然きた。千秋楽日本中の誰もが貴花田の
初優勝を願っていた。そしてついに初優勝を
達成したときは最高潮だった。
貴花田を追って曙が2場所後、若花田が7場
所後に初優勝した。大関、横綱は曙が先行し、
貴花田が追った。大関に昇進した平成5年
三月場所で貴ノ花に改めた。その場所、若花
田も若ノ花と改名した。貴乃花は横綱昇進に
苦労したが連続全勝優勝で決めた。平成6年
十一月場所であった。曙が横綱に昇進して
から2年経っていた。しかし、将来貴乃花は
曙を抜くと見られていた。
若 貴
<若貴そろい踏み>

平成7年十一月場所、横綱貴乃花と大関若乃
花の間で優勝決定戦が行われた。この一番
やりずらそうで、なんか力がはいらないまま
若乃花の優勝となった。これが原因ではない
が、平成9年五月場所2日目ついに連続満員
御礼はストップした。666日連続満員御礼で、
途方もない数字である。7年2場所と6日で
ある。おそらく今後破られることはないので
はないだろうか。
貴no
<九重(元千代の富士)より優勝旗を受ける貴乃花>

なお、若乃花が横綱になったとき、貴乃花が
「若乃花の相撲は基本ができていない」と発言し、
疎遠となった。また、平成10年九月場所直前に藤島
(元貴ノ花)親方が「貴ノ花は整体師に洗脳されて
いる」と発言して大騒ぎになった。若貴ブームは
兄弟間の確執で幕を閉じた。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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