大相撲

不滅の?満員御礼連続666日

2017年6月23日

現在は相撲ブームである。チケットは過熱
競争で、会場は連日満員札止めである。しか
し、今とは比べ物にならないほどの空前の
相撲ブームがかつてあった。

昭和63年、元大関貴ノ花の藤島部屋に2人の
息子が入門してきた。それは、がぜん相撲
ファンの関心を高めた。自宅から荷物を抱え
て同じ建物の幕下以下の大部屋へ引っ越す
姿が焼きついた。2人は若花田、貴花田の
名前で前相撲から注目を集めた。同期に若貴
に対抗する曙がいた。魁皇も同期であった。
若貴フィーバーの始まりである。若花田、
貴花田、曙の出世争いは見ごたえがあった。
2人が国技館に出かけるため、親方に挨拶
するところから映像が流れたほどである。

貴花田が幕下最年少優勝を決め、新十両が
決定した。満員御礼666日連続は貴花田が
十両入りした平成元年十一月場所11日目から
始まった。その貴花田を追って曙、若花田が
2場所後に十両入りした。
貴n0hana
<伯父二子山(元若乃花)から賜杯を受ける貴花田

人気がさらに沸騰したのが、貴花田初優勝の
ときであった。それは何の前触れもなく、
突然きた。千秋楽日本中の誰もが貴花田の
初優勝を願っていた。そしてついに初優勝を
達成したときは最高潮だった。

貴花田を追って曙が2場所後、若花田が7場
所後に初優勝した。大関、横綱は曙が先行し、
貴花田が追った。大関に昇進した平成5年
三月場所で貴ノ花に改めた。その場所、若花
田も若ノ花と改名した。貴乃花は横綱昇進に
苦労したが連続全勝優勝で決めた。平成6年
十一月場所であった。曙が横綱に昇進して
から2年経っていた。しかし、将来貴乃花は
曙を抜くと見られていた。
若 貴
<若貴そろい踏み>

平成7年十一月場所、横綱貴乃花と大関若乃
花の間で優勝決定戦が行われた。この一番
やりずらそうで、なんか力がはいらないまま
若乃花の優勝となった。これが原因ではない
が、平成9年五月場所2日目ついに連続満員
御礼はストップした。666日連続満員御礼で、
途方もない数字である。7年2場所と6日で
ある。おそらく今後破られることはないので
はないだろうか。
貴no
<九重(元千代の富士)より優勝旗を受ける貴乃花>

なお、若乃花が横綱になったとき、貴乃花が
「若乃花の相撲は基本ができていない」と発言し、
疎遠となった。また、平成10年九月場所直前に藤島
(元貴ノ花)親方が「貴ノ花は整体師に洗脳されて
いる」と発言して大騒ぎになった。若貴ブームは
兄弟間の確執で幕を閉じた。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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