大相撲

玉鷲の出世街道

2017年2月28日

このところめきめき力をつけてきた力士に
玉鷲がいる。十一月場所で日馬富士と3大関
に勝ち、一月場所では鶴竜と2大関を倒す
までに成長した。玉鷲はこれまで横綱・大関
を脅かすような存在ではなかった。玉鷲は
32歳になり、幕内を45場所務めている。これ
まではさほど横綱・大関戦は期待できなかっ
た。
玉鷲
<玉鷲化粧まわし姿とのぼり>
 
それがここ2場所は見違える相撲を取って
いる。地力アップの裏には突き押しの威力
増加があげられる。32歳からの成長で、横綱・
大関戦ががぜん面白くなった。ここまで進化
するとは想像できなかった。玉鷲はこれまで
どんな相撲人生を歩んできたのか、ふり返っ
てみよう。

前相撲は平成16年一月場所である。以下が
幕下以下の所要場所数と合計成績である。
玉1A
三段目から二段目へ、幕下から三段目へ降格
した経験がある。勝ち越し16場所、負け越し
7場所である。けしてスピード出世ではない
が、遅くはない。十両まで5、6年かかる
のが通常である。幕下以下での優勝は幕下で
1回ある。
0709十三 十両 090
<幕下時代 H19年九月場所13日目 八木ヶ谷
(後の若荒雄)を倒して優勝を決める>
 
十両を4場所連続勝ち越して入幕した。
玉2A
080114二日目十両 196
<新十両 H20年一月場所2日目 栃乃花から
十両初勝利>

ここまでは順調である。ところが入幕後5年

の間に5度十両に陥落している。初めて横綱・
大関とフル対戦したのは、平成22年三月場所
である。このときは横綱が白鵬、大関が日馬
富士、琴光喜、魁皇、琴欧州と5人いたが、
全敗して5勝10敗の成績に終わっている。
161113初日幕内 829
<H28年十一月初日 日馬富士に勝利>
 
2度目の横綱・大関フル挑戦は5場所後で
あった。このとき琴光喜はいなく、把瑠都が
大関になっていた。成績は大関日馬富士、
魁皇を倒したが、5勝10敗で終わっている。
その後も上位で勝ち越すことはなかった。
玉鷲にとって上位勝ち越しは大きな壁だった。
この壁を破ったのが昨年の十一月場所と先場
所である。

A横綱・大関全員と対戦して勝ち越し
B横綱・大関全員と対戦して負け越し
C横綱・大関と対戦なしあるいは部分対戦
とすると、ここまでの経緯は以下である
玉3A
玉鷲はこれまで上位との対戦が少ない力士
だった。しかし、今や急速な進歩で上位も
油断できない存在に変身した。三月場所も
旋風を起こせば場所は面白くなる。

本格的花粉シーズン到来。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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