大相撲

横綱の6場所連続(1年間)好成績6

2017年1月31日

このテーマは、昨年12月23日以来の再開で
ある。この間一月場所の番付に関すること、
場所の展望、本場所、稀勢の里の横綱昇進と
続いた。そのため初めてご覧になる方、お忘
れの方は以下をクリックしていただければ
幸いです。
大関3場所横綱3場所のときであった。74勝
16敗であった。そのときから4場所連続72勝
を超えた、その中に自己最高の75勝15敗を
達成している。その後3場所連続全休でしば
らく72勝以上はなかった。3場所連続全休後
の場所から1年間72勝18敗をあげた。これが
最後の1年間72勝以上の成績であった。この
後2年2場所横綱を務めて引退した。
年間成績A
大乃国は大関で1回、横綱で1回優勝して
いる。がちんこ相撲は好感がもたれ、千代の
富士の連勝を53でストップした実績がある。
しかし、優勝回数が2回と少なかったことも
あり、自己最高年間成績は68勝22敗であった。
それも横綱時代ではなく、大関時代のモノ
だったことは寂しい限りである。
旭富士A
<旭富士>
 
旭富士の大関時代は不遇であった。
12勝3敗  
11勝4敗
14勝1敗優勝
12勝3敗 
12勝3敗 72勝18敗
11勝4敗 72勝18敗
12勝3敗 72勝18敗
12勝3敗 73勝17敗
14勝1敗 73勝17敗
13勝2敗 74勝16敗
13勝2敗 75勝15敗
8勝7敗  72勝18敗
これは旭富士の横綱時代ではない。大関時代
の成績である。8場所連続72勝以上の成績で
ある。この当時の横綱昇進は双羽黒の影響が
大きかった。優勝なしの横綱昇進、昇進後も
優勝なしどころか、その行動・態度を問題視
され、若くして廃業という前代未聞の事態を
引き起こした。これが好成績を続けながら、
優勝1回の旭富士にマイナスに働いた。双羽
黒を横綱に昇進させた横綱審議委員会及び
協会は罪つくりなことをしてしまった。

元時天空が若くして亡くなりました。。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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