大相撲

今年はどうなる 今までと違う稀勢の里を示せるか

2017年1月2日

稀勢の里は昨年、13勝2回、12勝2回、10勝、
9勝で年間69勝をあげた。これは平成25年の
68勝を超える自己新記録であった。25歳から
26歳にかけての記録を29歳から30歳で更新
したのである。今年はどうなるか。昨年並み
なら実力的にはまだやれそうである。ただ、
今年の下半期初めに稀勢の里は31歳を迎える。
いつまでも時間があるわけではないのである。

十一月場所では優勝した鶴竜をはじめ、日馬
富士、白鵬の3横綱を撃破した。3横綱に
対する強さは本物である。その反面遠藤、
正代、栃ノ心といった平幕に3敗している。
これをどう見るか。平幕相手の敗因は後手に
まわった結果である。強い稀勢の里と弱い
稀勢の里が存在するという見方は適切では
ない。平幕の3敗はなぜ負けたか、負けない
ようにするにはどうしたらいいか。何をすべ
きか。大切なのはこうした姿勢である。
161123十一日目幕内 760
<優勝者鶴竜を倒した稀勢の里>
 
大正末から昭和の初期に清水川という力士が
いた。小結までいきながら、素行が悪く、
本場所をさぼり、ついには協会を除名された。
清水川の命運はつきたか。しかし、父親が死を
もって復帰を嘆願するという前代未聞の行為
に出た。これによって出羽海(元両国=前名
国岩)の心は動き、ついに清水川は復帰した。

復帰した清水川は変わった。今までの清水川
でなかった。年2場所制で玉錦が第一人者の
時代、関脇のとき1回、大関のとき2回、
計3回優勝した。清水川の左上手投げはあざ
やかの一語につきた。清水川こそ、ときには
横綱以上の存在価値を示した昭和唯一の名大
関であった。
清水川絵葉書
<清水川のブロマイド>
 
稀勢の里優勝待望論はいまだ根強くある。
それでいてなかなか手が届かない。今のまま
の延長では何も変わらない。稀勢の里は清水
川の変化に学べばいい。少なくても稽古量、
稽古相手、稽古の質だけでも変えていく意識
が必要である。今年は今までと違った稀勢の
里を示すことである。そして3場所に1回
以上は優勝争いをし、複数の優勝を成し遂げ
ることである。

がんばれという言葉はよく使われるが
それに代わる言葉はベストをつくせです。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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