稀勢の里は昨年、13勝2回、12勝2回、10勝、
9勝で年間69勝をあげた。これは平成25年の
68勝を超える自己新記録であった。25歳から
26歳にかけての記録を29歳から30歳で更新
したのである。今年はどうなるか。昨年並み
なら実力的にはまだやれそうである。ただ、
今年の下半期初めに稀勢の里は31歳を迎える。
いつまでも時間があるわけではないのである。
十一月場所では優勝した鶴竜をはじめ、日馬
富士、白鵬の3横綱を撃破した。3横綱に
対する強さは本物である。その反面遠藤、
正代、栃ノ心といった平幕に3敗している。
これをどう見るか。平幕相手の敗因は後手に
まわった結果である。強い稀勢の里と弱い
稀勢の里が存在するという見方は適切では
ない。平幕の3敗はなぜ負けたか、負けない
ようにするにはどうしたらいいか。何をすべ
きか。大切なのはこうした姿勢である。
大正末から昭和の初期に清水川という力士が
いた。小結までいきながら、素行が悪く、
本場所をさぼり、ついには協会を除名された。
清水川の命運はつきたか。しかし、父親が死を
もって復帰を嘆願するという前代未聞の行為
に出た。これによって出羽海(元両国=前名
国岩)の心は動き、ついに清水川は復帰した。
復帰した清水川は変わった。今までの清水川
でなかった。年2場所制で玉錦が第一人者の
時代、関脇のとき1回、大関のとき2回、
計3回優勝した。清水川の左上手投げはあざ
やかの一語につきた。清水川こそ、ときには
横綱以上の存在価値を示した昭和唯一の名大
関であった。
稀勢の里優勝待望論はいまだ根強くある。
それでいてなかなか手が届かない。今のまま
の延長では何も変わらない。稀勢の里は清水
川の変化に学べばいい。少なくても稽古量、
稽古相手、稽古の質だけでも変えていく意識
が必要である。今年は今までと違った稀勢の
里を示すことである。そして3場所に1回
以上は優勝争いをし、複数の優勝を成し遂げ
ることである。
がんばれという言葉はよく使われるが
それに代わる言葉はベストをつくせです。
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