優勝31回、53連勝の大横綱千代の富士は、
意外と数字が伸び悩む一面があった。それは
1年間の成績である。72勝以上の成績は、
15場所で輪島以下である。連続72勝以上は
わずか4場所で並み以下である。1年間80勝
以上の成績も4回と極めて少ない。その原因
は、たびたびの休場である。まず、新横綱の
昭和56年の九月場所にいきなり休場している。
横綱時代の連続出場は最高9場所(1年半)
だから、推して知るべしである。
最初の1年間72勝以上は、小結1場所、関脇
2場所、大関3場所のときで73勝17敗の成績
をあげた。その直後の新横綱の場所を休場
した。
73勝17敗
ブランク6場所
4場所連続72勝以上
ブランク13場所
4場所連続72勝以上(80勝以上2回)
ブランク6場所
3場所連続72勝以上 5連覇
ブランク9場所 53連勝
83勝7敗 平成元年三月場所
ブランク6場所
2場所連続72勝以上
5場所後引退
このように千代の富士の1年間の成績は、
きわめて平凡なものに終始した。
<千代の富士の訃報を報じると東京中日スポーツ>
隆の里は2代目若乃花とともに上京し、入門
した。出世は2代目若乃花に先んじられたが、
辛抱し、彼の昇進から5年後に横綱に昇進
した。辛抱の中には糖尿病との戦いもあった。
そのため、当時人気のドラマから「おしん
横綱」といわれた。千代の富士との優勝決戦
をたびたび制して一時壁になった。隆の里の
怪力で根こそぎもっていく相撲に千代の富士
は、たびたび苦戦していた。
昭和58年七月 1敗相星決戦 大関隆の里優勝
同九月 全勝決戦 新横綱隆の里優勝
同十一月 1敗相星決戦 千代9回目の優勝
昭和59年一月 2敗相星決戦 隆の里最後の
4回目の優勝
隆の里が初めて72勝以上の成績をあげたのは、
横綱直前の大関時代6場所の75勝15敗である。
ここから7場所連続72勝以上続けた。その中
には80勝10敗が入っている。昭和60年からは
休場が目立ってきたが、太く短い横綱時代で
あった。
双羽黒は史上初が多過ぎた横綱である。優勝
経験がない横綱。付け人が離反した横綱。
ついには、立浪親方(元安念山=2代目羽黒
山)と対立して横綱を途中でやめた力士で
あった。1年間の成績も72勝以上は1度も
なかった。最高成績は、横綱昇進直前の大関
6場所で69勝21敗で終わった。
凄まじい大火に唖然とした。、
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