大相撲

横綱の6場所連続(1年間)好成績5

2016年12月23日

優勝31回、53連勝の大横綱千代の富士は、
意外と数字が伸び悩む一面があった。それは
1年間の成績である。72勝以上の成績は、
15場所で輪島以下である。連続72勝以上は
わずか4場所で並み以下である。1年間80勝
以上の成績も4回と極めて少ない。その原因
は、たびたびの休場である。まず、新横綱の
昭和56年の九月場所にいきなり休場している。
横綱時代の連続出場は最高9場所(1年半)
だから、推して知るべしである。
千代表A
最初の1年間72勝以上は、小結1場所、関脇
2場所、大関3場所のときで73勝17敗の成績
をあげた。その直後の新横綱の場所を休場
した。
73勝17敗
ブランク6場所
4場所連続72勝以上
ブランク13場所
4場所連続72勝以上(80勝以上2回)
ブランク6場所
3場所連続72勝以上 5連覇
ブランク9場所 53連勝
83勝7敗 平成元年三月場所
ブランク6場所
2場所連続72勝以上
5場所後引退
このように千代の富士の1年間の成績は、
きわめて平凡なものに終始した。
千代富士
<千代の富士の訃報を報じると東京中日スポーツ>
 
隆の里は2代目若乃花とともに上京し、入門
した。出世は2代目若乃花に先んじられたが、
辛抱し、彼の昇進から5年後に横綱に昇進
した。辛抱の中には糖尿病との戦いもあった。
そのため、当時人気のドラマから「おしん
横綱」といわれた。千代の富士との優勝決戦
をたびたび制して一時壁になった。隆の里の
怪力で根こそぎもっていく相撲に千代の富士
は、たびたび苦戦していた。

昭和58年七月 1敗相星決戦 大関隆の里優勝
同九月      全勝決戦 新横綱隆の里優勝
同十一月  1敗相星決戦 千代9回目の優勝
昭和59年一月 2敗相星決戦 隆の里最後の
4回目の優勝

隆の里が初めて72勝以上の成績をあげたのは、
横綱直前の大関時代6場所の75勝15敗である。
ここから7場所連続72勝以上続けた。その中
には80勝10敗が入っている。昭和60年からは
休場が目立ってきたが、太く短い横綱時代で
あった。

双羽黒は史上初が多過ぎた横綱である。優勝
経験がない横綱。付け人が離反した横綱。
ついには、立浪親方(元安念山=2代目羽黒
山)と対立して横綱を途中でやめた力士で
あった。1年間の成績も72勝以上は1度も
なかった。最高成績は、横綱昇進直前の大関
6場所で69勝21敗で終わった。

凄まじい大火に唖然とした。、

興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑              
 

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.