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立浪-時津風のいきさつ

元大翔山の追手風が伊勢ヶ濱一門を脱退して、
時津風一門に移籍するとのニュースが報道
された。考え方に相違があるという理由だが、
具体的なことには触れていない。そもそも
一門は政党ではないのだから、同じ考え方を
もった者の集まりではない。会社における
派閥とも違う。しいていうのなら、現代では
理事を選出するさい、一丸となって票が片寄
ることなく投票する仕組みの枠である。
140112初日幕内 417
<追手風(元大翔山)>
 
これとてけしていいことではない。自由立候補、
それも何がしたくて立候補するのか。これ
まで理事としての成果を検証するのが当然
だが、まるで行われていない。投票も自由
投票にしてこそ、開かれた組織、民主的な
運営ができるのである。
元大翔山の追手風部屋のルーツは何か。それ
は立浪部屋である。伊勢ヶ濱部屋も同様で
ある。立浪を中心にピックアップすると以下
になる。
立浪A
立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした
部屋である。一代で横綱双葉山・羽黒山、
大関名寄岩、関脇旭川などを育てた。立浪
(元緑嶋)は双葉山に「ほうびに娘をやろう。
部屋も継がせる」ともちかけた。だが、双葉
山には心を決めた女性がいた。それだけでは
なかった。立浪(元緑嶋)と双葉山は様々な
点で意見が折り合わなかった。その結果、
双葉山は昭和16年、双葉山相撲道場として
独立した。
このとき、双葉山の親友元大関鏡岩の粂川
部屋が、弟子から建物まで双葉山にさし出し、
託してしまった。不動岩・鏡里は元鏡岩の
直弟子である。独立しても立浪一門の枠内
では弟弟子の元羽黒山を盛り立てることに
なってしまう。そこで、双葉山相撲道場及び
引退後の時津風部屋は、勢力拡大に向かって
いく。他の部屋を併合していった。その中に
井筒部屋もあった。井筒部屋のルーツが高砂
であることは以前書いた。
双葉山
<双葉山のブロマイド>
 
立浪は結局、娘と結婚した羽黒山に部屋を
譲った。さらに元羽黒山の娘と結婚した安念
山に引き継がれた。そこから元旭国の大島が
独立した。さらに、そこから分かれたのが
元旭富士である。元旭富士の場合、元陸奥嵐
の安治川部屋を引き継ぐ形でスタートした。
元大翔山の追手風部屋は、立浪(元安念山)
の分家である。
立浪(元安念山)と元照国の伊勢ヶ濱は連合
を組んでいた。時津風(元双葉山)はルーツ
を立浪にもちながら袂を分かつことになった。
それでも系統別総あたりでは、立浪部屋と
時津風部屋の力士の対戦はなかった。
現代はどうか。立浪(元旭豊)部屋が理事選
で貴乃花に投票し、今後追手風(元大翔山)
は伊勢ヶ濱(元旭富士)に投票することは
なくなったわけである。一門は変遷していく
が、どうあるべきか再考のときにきているの
ではないだろうか。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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