大相撲

立浪-時津風のいきさつ

2016年12月24日

元大翔山の追手風が伊勢ヶ濱一門を脱退して、
時津風一門に移籍するとのニュースが報道
された。考え方に相違があるという理由だが、
具体的なことには触れていない。そもそも
一門は政党ではないのだから、同じ考え方を
もった者の集まりではない。会社における
派閥とも違う。しいていうのなら、現代では
理事を選出するさい、一丸となって票が片寄
ることなく投票する仕組みの枠である。
140112初日幕内 417
<追手風(元大翔山)>
 
これとてけしていいことではない。自由立候補、
それも何がしたくて立候補するのか。これ
まで理事としての成果を検証するのが当然
だが、まるで行われていない。投票も自由
投票にしてこそ、開かれた組織、民主的な
運営ができるのである。

元大翔山の追手風部屋のルーツは何か。それ
は立浪部屋である。伊勢ヶ濱部屋も同様で
ある。立浪を中心にピックアップすると以下
になる。
立浪A
立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした
部屋である。一代で横綱双葉山・羽黒山、
大関名寄岩、関脇旭川などを育てた。立浪
(元緑嶋)は双葉山に「ほうびに娘をやろう。
部屋も継がせる」ともちかけた。だが、双葉
山には心を決めた女性がいた。それだけでは
なかった。立浪(元緑嶋)と双葉山は様々な
点で意見が折り合わなかった。その結果、
双葉山は昭和16年、双葉山相撲道場として
独立した。

このとき、双葉山の親友元大関鏡岩の粂川
部屋が、弟子から建物まで双葉山にさし出し、
託してしまった。不動岩・鏡里は元鏡岩の
直弟子である。独立しても立浪一門の枠内
では弟弟子の元羽黒山を盛り立てることに
なってしまう。そこで、双葉山相撲道場及び
引退後の時津風部屋は、勢力拡大に向かって
いく。他の部屋を併合していった。その中に
井筒部屋もあった。井筒部屋のルーツが高砂
であることは以前書いた。
双葉山
<双葉山のブロマイド>
 
立浪は結局、娘と結婚した羽黒山に部屋を
譲った。さらに元羽黒山の娘と結婚した安念
山に引き継がれた。そこから元旭国の大島が
独立した。さらに、そこから分かれたのが
元旭富士である。元旭富士の場合、元陸奥嵐
の安治川部屋を引き継ぐ形でスタートした。
元大翔山の追手風部屋は、立浪(元安念山)
の分家である。

立浪(元安念山)と元照国の伊勢ヶ濱は連合
を組んでいた。時津風(元双葉山)はルーツ
を立浪にもちながら袂を分かつことになった。
それでも系統別総あたりでは、立浪部屋と
時津風部屋の力士の対戦はなかった。

現代はどうか。立浪(元旭豊)部屋が理事選
で貴乃花に投票し、今後追手風(元大翔山)
は伊勢ヶ濱(元旭富士)に投票することは
なくなったわけである。一門は変遷していく
が、どうあるべきか再考のときにきているの
ではないだろうか。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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