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横綱の6場所連続(1年間)好成績4

表4A
輪島の相撲が安定してきたのは昭和47年九月
場所の関脇からである。そこから1年間の
関脇1場所、大関4場所、横綱1場所で、
74勝16敗の成績をあげた。さらに8場所連続
72勝以上の成績を続けた。昭和47年九月
場所から昭和49年九月場所までのことである。
強さを増したのは大関3場所目の昭和48年三月
場所以降である。この間優勝は6回している。
輪島の強さはこう評価されている。
横綱審議委員の石井光次郎氏「輪島はマシー
ンのような強さ」
神風氏「羽黒山の堅実さ、強さと安芸ノ海の
うまさをあわせたのが、輪島の相撲」
玉の海氏「すり足、顎があがらない、腰を
落として攻める。大胆な中に緻密さがある」
大鵬氏「攻撃から防御、防御から攻撃と相撲
にリズムがある。輪島の強さの一番のポイン
トは腰の中心点に寸分のくるいもないという
ことだ。投げを打つときの体の開きは天才的」
中断したのは、成績不振と休場である。だが、
輪島はそのままでは終わらなかった。8回目
から12回目の優勝のときに10場所連続72勝
以上の成績をあげている。昭和51年七月場所
から昭和53年一月場所までである。この後
休場で記録が中断した。その後7場所連続
出場したときがあったが、72勝には惜しくも
届かなかった。
怪童北の湖は史上最年少横綱、双葉山、大鵬
とともに昭和3強とも言われた記録男でも
あった。ところが、1年間72勝以上の成績と
なると、横綱になっても以下の表のように
飛び石気味からスタートした。この期間は
けっこう長く、北の湖は横綱になって2年
2場所はけして抜群の成績をあげてきたわけ
ではなかった。
北湖A
北の湖が連続72勝以上をあげたのはこの直後
からで、その数字は28場所連続(4年4場所)
と抜群であった。これは北の湖が新横綱から
43場所連続出場と休場が少なかったことが
大きい。この間1年間の成績80勝以上が11度
もある。最高成績は85勝5敗である。この
数字はすべて大鵬を抜いて当時トップであっ
た。
北の湖の相撲は立ち合いから踏み込んでの
攻撃相撲であった。相手をつかまえ、じっく
り取る攻防兼備の相撲が取れたら数字はもっ
と上がったに違いない。昭和56年十一月場所
の横綱初休場後は、6場所連続フル出場する
ことはなかった。
北
<北の湖>

2代目若乃花は、期待された逸材であった。
優勝4回でもわかるようにけして期待に応え
たとはいえなかった。それは1年間の成績
にも表われている。72勝以上の成績は8回で
終わっている。悪い数字ではないが、もって
いる素質からいうと限界まで挑んだとはいい
がたい。師匠の娘と結婚したが、それ以前
から女性がいた。そのため、結婚生活は短く、
以前からいた女性と再婚した。そうしたこと
が成績に影響したのかもしれない。
三重ノ海は短命に終わった横綱である。横綱
在位8場所である。1度大関から陥落しなが
ら横綱にまで上り詰めた。1年間72勝以上
あげたのは2回ある。最高成績は77勝13敗
だからかなり、高い数値である。大関3場所、
横綱3場所のときである。三重ノ海の突然の
強さは、信じられない変化であった。 

年末年始は太らないよう注意が必要。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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