大相撲

大相撲論1

2015年10月28日

大相撲は(     )ではない。
大相撲は(     )である。
あなたなら(     )の中にどんな言葉をいれるか
考えてみてください。

大相撲は単なるスポーツではない。
大相撲は伝統文化の側面をもつ競技である。

大相撲は不人気状態ではない。
大相撲は満員御礼続きの人気である。

大相撲は国技ではない。
大相撲は国際技である。

大相撲冬の時代なら
大相撲は真剣勝負ではない。
大相撲はショーである。
あるいは
大相撲は力のサムライ集団ではない。
大相撲はモラルハザード集団である。
さらに
大相撲は開かれた組織ではない。
大相撲は閉鎖された社会である。

あなたは次の言葉を入れただろうか。
大相撲はスポーツではない。
次はいかがだろうか。
大相撲は曼荼羅である。
大相撲は「大相撲」である。
大相撲の真髄は武士道である。
大相撲はスポーツとは一戦を画している「格技」である。
大相撲は伝統芸能である。
大相撲は日本の象徴である。

以上は元力士の考えである。筆者はこの考えに対して、
違和感をもった。元力士は言う。「大相撲に関する既成
概念を捨てて、白紙の状態でもう一度大相撲を考えてい
ただきたい」そう言われても素直に頷ける内容には程遠
い。その主張には別のねらいを感じる。元力士の考えを
読み解き、これから異論・反論を展開させていただいく。

大相撲はスポーツではない。まったくすごい断定である。
これまで単なるスポーツではない、という表現はあった
が、スポーツではないというと全否定である。その意図
をまとめると
1.神事や伝統文化・芸能であり、競技性のある技の出
し合いを興行としている。
2.スポーツとして成立するルールを持ち合わせていな
い。
3.ボクシング・judo・アマ相撲と違い体重別ではない。
4.スポーツならフェアな仕切りができるように仕切り
線に電気センサーの設置が必要
5.ほとんどのスポーツでは審判員に強大な権限があり、
よほどのことがないかぎり判定がくつがえることがない。
しかし、行司に勝負判定の権限がない。
6.行司装束、呼び出し装束、締込、力水、塩、四股は
スポーツの領域にあてはまらない。
140126千秋楽
そもそもスポーツとは
楽しみを求めたり、勝敗を競ったりする目的で行われる
身体運動の総称。陸上競技・水上競技・球技・格闘技な
どの競技スポーツのほか、レクレーションとして行われ
るものも含む(gooの辞書より)

これでも大相撲はまったくスポーツの要素がないと言い
切れるだろうか。筆者は神事を含めた伝統文化の側面と
競技の要素があると思っている。稽古で培ったものを発
揮し、技量を審査するのが本場所である。その結果力士
が勝敗を競う。ここに競技の要素がある。元力士はなぜ
かすべてかゼロかで捕らえようとしている。1にしても
競技ではなく、「競技性のある技の出し合いを興行とし
ている」とかなり微妙な言い回しに終始している。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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