1917(大正6)年夏場所(5月)入幕
前頭13 大潮又吉 8勝1預 優勝同点
大潮は常ノ花とともに新入幕。このときは同じ西方で
戦うことはなかった。25歳。9日制で初日から8連勝
して優勝かと思わせたが、千秋楽負け越している前頭
6枚目の紅葉川と預かりになって全勝はできなかった。
優勝は同成績の大関栃木山が手中にした。当時は優勝
決定戦はなく、同点の場合は上位が優勝という時代だった。
大潮は優勝同点で終わった。
栃木山はこれが初優勝だったが、5連覇の始まりでも
あった。大潮は栃木山に3連敗後渡し込みで初勝利を
上げている。1920(大正9)年春場所(1月)5日目の
ことである。この取組を酒井忠正著の日本相撲史中巻
(日本相撲協会発行、ベースボール・マガジン社発刊)
はこう記してある。
立上がるや大潮が烈しく突立て、栃木山は二、三歩退った
が突返して右を筈に押立て、大潮は土俵に詰ったが敵の
筈を払いのけ、右手に捻って押返し栃木山を西土俵に
押詰め、堪える所を右手を伸ばし左外枠に掻込み、渡込ん
で大潮の勝となる。
栃木山はこの場所2敗で6連覇はならなかった。大潮に
とって快心の1勝となった。大潮は最高位は関脇。幕内
在位は9場所と短く、2場所連続全休し、若くして土俵を
去った。
1941(昭和16)年夏場所(5月)入幕
前頭11 双見山 8勝7敗 横綱男女ノ川に勝利
1932(昭和7)年から始まった系統別総当たり制は1940
(昭和15)年に再び東西制に戻った。出羽系の力士が
番付の半分近くを占めたことが要因である。
前頭は21枚あるなか双見山は11枚目に位置した。2日目
双見山は横綱男女ノ川と対戦した。押し切りで双見山が
勝って横綱初挑戦で見事金星をあげた。この場所双見山は
8勝7敗で終えた。男女ノ川はこの場所2勝4敗9休と
不調、翌場所を最後に引退している。
双見山は春秋園事件で大日本相撲協会を脱退した天竜の
関西相撲協会出身力士。照国からも勝利し金星は2個
獲得したが、戦中・戦後の混乱期の中それ以外目立つ
活躍はなかった。1947(昭和22)年に引退。引退後は
一時錦戸を襲名した。
関西相撲協会出身力士。照国からも勝利し金星は2個
獲得したが、戦中・戦後の混乱期の中それ以外目立つ
活躍はなかった。1947(昭和22)年に引退。引退後は
一時錦戸を襲名した。