藤ノ川は京都出身と紹介されているが、実際は東京生まれである。
出身地は申告制で大関貴ノ花は北海道生まれの東京育ちだが、青
森県出身とされた。藤ノ川は相撲少年で5歳から始めている。少
年時代は相撲道場で身につけた。高校は相撲の名門埼玉栄高校へ
進学した。3年生のとき主将を務めている。

父は元大碇の甲山親方である。その関係から父と同じ伊勢ノ海(元
北勝鬨)部屋へ入門した。序ノ口・序二段・三段目を各1場所で通
過した。三段目で優勝している。これが十両以下唯一の優勝となっ
た。

幕下は7場所かかった。ただ、一度も負け越さなかった。これは大
変な実績である。貴乃花も朝青龍も白鵬もなしえていない。連続5
場所4勝3敗を繰り返して十両入りを決めた。なお幕下時代に琴手
計(現琴栄峰)、千代丸と対戦して1敗している。
新十両は令和6年十一月場所だった。1勝5敗からねばり、7勝7
敗までいった。だが、惜しくも負け越した。星取人生初の負け越し
だった。十両2場所目はいいスタートを切った。9勝1敗だった。
だが、11日目思わぬ左上腕二頭筋腱遠位断裂のため途中休場した。
休場明けの三月場所は8勝7敗に終わった。五月場所は十両西5枚
目で幕内を狙える位置ではなかった。だが、ここで奮闘して12勝3
敗の好成績をあげた。これが決め手となって入幕を果たすことがで
きた。

入幕となった七月場所から藤ノ川に改名した。個人的には改名は反
対であった。必要なかったと思っている。なお、20歳は幕内現役最
年少である。
京都府出身 伊勢ノ海(元北勝鬨)部屋
176センチ 117キロ 押し 20歳