◆続昭和戦後
3代目玉の海 最高位横綱
大関までは玉乃島であった。横綱昇進にあたって玉の海の四股名を
希望した。当時NHKの解説者だった玉の海梅吉氏は、玉乃島で慣
れ親しんできたのに今さら玉の海にしなくても、と諭した。

だが、横綱の意志は堅かった。玉の海梅吉氏はそれならと了承した
が、1つ条件をつけた。それは「玉乃島がどういう相撲をとってき
たかは問わない。しかし、玉の海を名のるなら、今後八百長をやっ
てもらっては困る」というものだった。個人的には玉乃島でよかっ
た。
三重ノ海 最高位横綱
横綱になるとは思えなかった時期が長かった。大関在位21場所と長
かったが、ワンチャンスで横綱になった。31歳だった。横綱で連続
優勝と全勝優勝を成し遂げたのが最後の花だった。

2代目若ノ海 最高位前2
2代目大ノ海 最高位前4
初代佐田の海 最高位小結
現役の佐田の海の父である。小結を4場所務めた。序ノ口から引退
前の場所まで休場がなかった。千代の富士に勝って殊勲賞を受賞し
たことがある。
2代目豊ノ海 最高位前1
◆平成
舞ノ海 最高位小結
解説でおなじみの方である。小兵で師匠元佐田の山の出羽海からは
「お前は何をやってもいい」と言われた。切り返し、下手投げ。三
所攻めなど多彩な技をみせた。八艘飛びまでやった。
肥後ノ海 最高位前1
土佐ノ海 最高位関脇
同志社大学で学生出身。新入幕前頭7枚目でいきなり初日から大関
若乃花、横綱貴乃花と対戦した。横綱貴乃花・曙に勝って殊勲賞を
獲得したことがある。三賞を13回受賞した。関脇7場所、小結13場
務所めた。現立川親方

隠岐の海 最高位関脇
島根県隠岐の島出身である。横綱鶴竜・日馬富士に勝って殊勲賞を
受賞した。野球賭博で出場停止になったことがあった。関脇2場所、
小結6場所務めた。現君ヶ濱親方
現役は最初に触れたとおりである。
(この項目終わり)