七月場所は照ノ富士10回目の優勝で終了した。大正
15年の公式優勝制度から14人目の10回以上の優勝者
であった。七月場所、照ノ富士は14日目・千秋楽と
連敗して12勝3敗の優勝であった。照ノ富士の優勝
を象徴するようであった。
照ノ富士は10回優勝のうち実に5回が12勝優勝であ
った。実に半分を占めている。これはほかの10回以
上の優勝者には見られない特徴である。
栃錦 優勝10回 12勝優勝0
若乃花優勝10回 12勝優勝1回
大鵬 優勝32回 12勝優勝1回
北の富士優勝10回12勝優勝0
輪島 優勝14回 12勝優勝3回
北の湖優勝24回 12勝優勝1回
千代の富士優勝31回12勝優勝2回
貴乃花優勝22回 12勝優勝1回
曙 優勝11回 12勝優勝1回
武蔵丸優勝11・1位1 12勝優勝3
朝青龍優勝25回 12勝優勝0
白鵬 優勝45回 12勝優勝1回
多いのは輪島・武蔵丸だが、それでも3回である。
照ノ富士はなぜ12回優勝が多いのか。照ノ富士が必
ずしも絶対的強者でないからである。それでいて周
囲はコンスタントに12勝以上の成績をあげられない。
そもそも10回以上の優勝者は12勝では優勝できると
思っていない。ここに決定的な違いがある。
優勝は優勝である、という見方がある。しかし、優
勝にはレベルがある。100メートル競走で見たいの
は9秒代である。11秒の争いは見たくない。
照ノ富士は晩年に入っている。両ひざのカゲもある。
多くを望むのは酷かもしれない。しかし、横綱をは
る以上責任はある。