かつて新入幕から横綱までの所要場所数番付を発表
した。そこで今回、横綱は新入幕までどれくらいの
所要場所数かかったのか。早速調査してみた。
対象は実質横綱が地位化した常陸山以降の東京横綱と
した。十両以下の実情は、時代によって異なる。と
いう問題はある。例えば十両では1場所の取組数が
まちまちの時期がある。そうかと思えば十数番取った
時期もある。昭和42年以降、幕下1場所通過はなく
なった。あくまで参考としてみていただきたい。前
相撲は通算勝利、連続出場にカウントされないので、
場所数からはずした。その結果が以下である。
トップは太刀山の5場所である。太刀山は実は幕下
付出なのである。それでもいきなり4勝した。入門は
22歳だったが、出世は早かったわけである。続く横綱
が羽黒山である。新序(1934年夏場所から1960年十一
月場所までの序ノ口と前相撲の中間の階級)で2勝
1敗後は序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両と各段
優勝して6場所で入幕した。輪島は幕下付出で2場所
連続優勝して十両入り。十両4場所で入幕した。当時
は幕内から落ちてくる力士が少なく、輪島が十両優勝
しても幕にあがれなかった。
栃木山は7場所で入幕した。すべて勝ち越しであっ
た。栃木山は後年横綱になって幕内最高成績を9回
達成したほどで、まさに強者の道を歩んできた。引退
後は春日野として後進の指導にあたっていた。栃錦が
まだ三役のころ、部屋にはほかに鳴門海、大江戸など
がいた。
あるとき関取全員が負けた日があった。春日野は関取
たちを前に「お前たちは弱いんだなあ」とつぶやいた。
春日野がその場を去ると「うちの親方は弱いってこと
に関しちゃ何にもわかっていないんだから、いやに
なっちゃう」と鳴門海がいかにもうんざりした調子で
言うから大爆笑になった。
羽黒山、栃木山のように1度も負け越すことなく入幕
した横綱に千代の山、朝潮、曙がいる。太刀山は五分
の場所がある。
常陸山は後に大横綱になるほどだからとんとん拍子に
出世したかというとけしてそうではなかった。それ
どころか巡業中脱走騒ぎを起こしている。身を寄せた
のが名古屋相撲、大阪相撲である。だが、それも
人を介して復帰した。3場所ブランクから幕下付出で
再出発したあと一気にスピード昇進を果たしていく。
幕下2場所、十両1場所で入幕を果たした。
デビュー場所序ノ口で負け越した横綱が3人いる。
常ノ花、初代若乃花、白鵬である。そうそうたる横綱
ばかりである。常ノ花・初代若乃花が2勝3敗、白鵬
が3勝4敗でいずれも1点の負け越しであった。
もっとも場所数がかかったのは北の富士と隆の里の
40場所である。6年半以上かかって入幕したことに
なる。北の富士は十両で3人目の15戦全勝して入幕
した。新入幕で13勝し、翌場所は新小結に昇進した。
21歳から22歳にかけてのことだった。隆の里は同期の
2代目若乃花に遅れてきた力士だった。それでも入幕
したときは22歳と若かった。ワースト記録でも気に
するほどではなかったことになる。