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関脇優勝直後大関になれなかった力士

御嶽海は3回目の関脇優勝だった。過去2回
は関脇優勝しても大関に直結しなかったわけ
である。

1回目  7勝-9勝-13勝優勝-9勝
2回目 9勝-9勝-12勝優勝-6勝

優勝直後の場所の成績も2ケタではない。
これでは大関は無理だった。だが、3回目の
優勝でようやく大関を手中にした。2度ある
ことは3度ある、ではなく3度目の正直と
なった。照ノ富士は関脇優勝が2回あるが、
2回とも大関に昇進している。

<御嶽海3回目の関脇優勝>

大正15年の優勝制度以降、関脇優勝は31例
あるが、関脇優勝直後大関になれなかった
力士は御嶽海の2例を含め8例ある。
玉錦 10勝1敗優勝-9勝2敗(計19勝3敗)
昭和4年当時は東京場所と地方場所の合計で
番付が編成されていた。この時大関昇進は
なかった。さらにこのあとの場所は以下だっ
た。
9勝2敗-7勝4敗(計16勝6敗)
9勝2敗-8勝3敗(計17勝5敗)
玉錦は大関にようやく昇進できた。

<玉錦のブロマイド>

清水川の場合も東京場所と地方場所の合計で
番付が編成された。東京場所で優勝しても
大関に昇進できないのは制度によるもので
あった。清水川の関脇優勝は春秋園事件で
力士が大量離脱した場所であった。このとき
は東西制ではなく、系統別総あたりとなった。
昭和7年春場所で清水川が関脇優勝した。
8勝優勝-8勝2敗(計16勝2敗)
地方場所でも好成績で、大関に昇進した。

<清水川のブロマイド>

次は昭和31年春場所の朝汐である。朝汐ほど
期待が大きく、大成しなかった力士はいない。
初優勝を大関昇進に生かせなかった。
9勝-9勝-12勝優勝-8勝
1年後の2回目の関脇優勝では次の成績だっ
た。
8勝-8勝-13勝優勝
現代ならありえない成績で大関に昇進して
いる。

<朝汐のブロマイド>

時代は進んで次は昭和47年三月場所の長谷川
である。一人横綱北の冨士が乱調、琴櫻・
清國・前の山・大麒麟の4大関は頼りになら
ない存在だった。誰が優勝するかわからない
場所が続いていた。そんななかで長谷川が
優勝した。
8勝-10勝-12勝優勝-8勝
結局大関に昇進できなかった。
「3場所30勝というが、輪島だって30勝(11
勝-10勝-9勝)なんだよ」と春日野(元
栃錦)は語っている。

<長谷川のブロマイド>

長谷川優勝の翌場所、輪島が関脇優勝した。
これも誰が優勝するかわからないなかでの
優勝だった。
10勝-9勝-12勝優勝-8勝
で大関昇進はならなかった。こうした波乱
場所が4場所続くと、「玉の海が生きていた
らこんな場所にはならなかっただろうに」と
いう声があがった。

関脇玉鷲が初優勝したのは平成31年一月場所
であった。当時玉鷲は34歳であり、大関を
期待する雰囲気はなかった。本人は以前、
「一度優勝してみたい」と言っていたが、
それが実現したことになる。

関脇優勝は珍しいが、直後の大関昇進率は
74%と高い。

札幌は大雪で大変です。             。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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