今年に入って3つの部屋が閉鎖になった。
東関(元高見盛)部屋、峰崎(元三杉磯)、
鏡山(元多賀竜)部屋である。峰崎は定年に
よるものだが、東関は部屋を継いだものの、
無理があった。鏡山は2人の弟子が続いた
だけに限界であった。東関の弟子は八角(元
北勝海)部屋に、峰崎の弟子は芝田山(元
大乃国)部屋に、鏡山の弟子は伊勢ノ海(元
北勝鬨)部屋に移籍することになった。これ
で現代の部屋は以下の42になった。
一代の部屋 17
2代の部屋 11
3代の部屋 5
4代の部屋 5
5代以上の部屋4
今から58年前の1963年の相撲部屋はどういう
事情だったのか。大鵬が第一次6連覇を達成
した年である。大鵬と柏戸の差がますます
開いていくことが明白になってきていた。
相撲部屋は32部屋である。現代よりは絞られ
ている。ほかに行司部屋があった。
現代もある部屋はわずか11部屋しかない。
一代の部屋は時津風(元双葉山)、伊勢ノ海
(元先代柏戸)、井筒(元先代鶴ヶ嶺)、
友綱(元巴潟)、宮城野(元吉葉山)、佐渡
ヶ嶽(元初代琴錦)、片男波(2代目玉乃海)
である。井筒部屋はその後元2代目星甲に
引き継がれ、名称が陸奥部屋にかわり、元星
岩涛、元霧島へと引き継がれた。なお、元
霧島は直弟子ではなく、2代目鶴ヶ嶺の君ヶ
濱-井筒部屋の弟子である。
2代続いた部屋が立浪(元羽黒山)部屋、
春日野(元栃錦)部屋である。現代なら伝統
部屋になるが、このときはまだ歴史が浅かっ
た。4代続いた部屋が高砂(元前田山)で
ある。元前田山は先代高砂(元2代目朝潮)
の隠居によって部屋を継いでいた。出羽海
部屋を大きくしたのは常陸山であるが、部屋
の祖を幕末の桂川においている。1963年当時
は元出羽ノ花が継承6代目出羽海として君臨
していた。
21の部屋は現代に引き継がれなかった。大鵬
が所属していた二所ノ関部屋は、元金剛の代
で消滅した。三保ヶ関部屋は父増位山が復興
したが、子増位山の代で閉鎖した。ともに
本家であった。現代は本家なき分家だけが
残っている状態である。高砂の分家は4部屋
あったがすべて消滅している。高砂の分家は
長続きしない伝統がある。ほかに伊勢ヶ濱
(元照國)部屋、花籠(元大ノ海)部屋が
ともに次の代元清國、元輪島の代で消滅して
いる。
今から半世紀後の相撲部屋は果たしてどう
変化しているのだろうか。
年寄名を相撲部屋名にするとややこしさが増えます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。