一月場所優勝した大栄翔は三月場所7勝7敗
で千秋楽を迎えた。幸い勝って勝ち越すこと
ができた。負け越していたら優勝力士が翌
場所負け越しの記録をつくるところだった。
といっても過去には優勝した翌場所、前場所
負け越した優勝力士が現実にいる。どんな
優勝力士なのか調査してみた。
協会が正式に優勝制度をスタートさせたのは
大正15年からであった。優勝制度によって
取り直し制度、不戦勝不戦敗制度が設けられ
ていった。
■常ノ花
第1回は常ノ花の優勝であった。常ノ花は
この時横綱だった。この優勝がすでに前場所、
翌場所共に負け越しだった。前場所が3勝
1敗1分6休、翌場所が全休であった。常ノ
花は8回優勝しているが、昭和2年10月場所
4回目の優勝の翌場所全休している。さらに
昭和4年夏場所6回目の優勝前場所は全休で
あった。昭和5年3月場所8回目最後の優勝
の翌場所は5勝4敗2休であった。その翌
場所引退している。
■大蛇山
大蛇山は大正15年夏場所、平幕8枚目の優勝
だった。そのため、大関戦はなかった。横綱
常ノ花は全休であった。前場所は前頭8枚目
4勝8敗で負け越している。負け越しながら
現状維持の番付であった。優勝の翌場所は
前頭2枚目まで番付をあげてきた。横綱常ノ
花・大関大ノ里には負けたが、6勝5敗と
勝ち越している。ただし、取組が東西制で
強豪との対戦は単純計算で半分になる。
■常陸岩
昭和3年春場所、大関で優勝した。翌場所
全休している。常陸岩唯一の優勝であるが、
かなりピンチであった。
千秋楽をむかえ前頭13枚目の三杉磯は全勝、
大関常陸岩は1敗。当時は優勝決定戦制度が
なく、同成績の場合は番付上位力士が優勝で
あった。平幕の三杉磯は千秋楽に小結玉錦と
あてられた。前日から玉錦のもとには八百長
の申し入れがあったようだが、玉錦は断った。
むかえた千秋楽。玉錦は三杉磯との一番、
負けては八百長と思われるので必死でうっ
ちゃった。大関常陸岩が横綱宮城山を倒し、
優勝を決めた。
ところが常陸岩には不戦勝があったので、
実質は三杉磯が上だと三杉磯サイドが主張
した。当時は不戦勝の認識があいまいだった。
結局不戦勝があっても価値は勝利と同じと
いうことで常陸岩の優勝となった。
■能代潟
大関能代潟は昭和3年3月場所10勝1分で
優勝した。これが最初で最後の優勝だった。
だが、前場所が3勝6敗、優勝の翌場所が
4勝7敗で負け越している。能代潟は大関
22場所務めているが、実に11場所負け越しで
あった。
(この項目続く)
理髪店が混んでいます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。