大相撲

横綱の大関在位場所数番付

横綱の大関在位場所数番付を作成した。対象
は東京横綱で、実質横綱が地位化した常陸山
以降とした。さらに、大関時代の勝率を付け
加えた。引き分け、預かり等は0.5勝0.5敗と
した。1勝14引き分けが14勝1敗より上で、
勝率10割はどう考えても不自然である。勝率
は15日制なら下記になる。
12勝 0.8
11.5勝0.767
11勝 0.733
10.5勝0.7
10勝 0.667
もっとも常陸山、梅ヶ谷、太刀山、鳳、2代
目西ノ海、大錦、栃木山、3代目西ノ海、
常ノ花、羽黒山、安芸ノ海、照國は東西制
での勝率である。玉錦は東西制6場所、系統
別4場所、前田山は東西制15場所、系統別
3場所、東富士は東西制2場所、系統別4場
所での数字である。

最短は大関2場所で横綱に昇進している。
双葉山、栃木山、照國の3人である。双葉山
は連続全勝優勝であり、関脇の全勝優勝を
含めると3場所連続全勝優勝だから、これ
以上の横綱昇進はないのでは。年6場所では
急激に強くなることは少ない。年2場所なら
番付以上の実力がつくので、双葉山のような
ケースは空前絶後になるかもしれない。

<双葉山のブロマイド>

栃木山は時事新報社の幕内最高成績者の額を
国技館に掲げる制度で、2場所最高成績を
あげて横綱になった。照國は優勝なき横綱
昇進だった。それどころか横綱になっても
17場所優勝はなかった。現代なら待ったが
かかったかもしれない。白鵬が新大関で初
優勝したとき、2場所で大関通過かと色めき
だったが、そう簡単ではなかった。

これに続くのが、大関3場所で横綱に昇進
した千代の富士、朝青龍、大錦、北の湖、
3代目西ノ海である。ここで年6場所制の
横綱が3人入ってきている。逆にいうと年
6場所制では半年はかかることになる。連続
優勝で横綱に昇進したのは朝青龍である。

<朝青竜>

横綱の大関在位場所数番付で、真ん中に位置
する横綱が白鵬と柏戸の7場所である。これ
から横綱を目指す力士は大関になったとたん、
この7場所がひとつの目安になる。もっとも
柏戸は横綱昇進直前優勝がなく、大鵬と抱き
合わせで昇進した。現代ではこのケースは
ありえそうもない。

佐田の山は、大関が長いといわれた。大関
在位17場所である。しかし、歴史は彼以上の
大関在位の横綱を誕生させている。北の富士
大関在位21場所、玉の海大関在位20場所は
これが最高在位かと思われた。ところが、
琴櫻がまさかの連続優勝で横綱に昇進して
しまった。大関在位32場所、5年2場所かか
った。のち武蔵丸がタイ記録をつくるが、
琴櫻が32歳で横綱に昇進したのに対し、武蔵
丸は28歳であった。

<連続優勝しそうな琴櫻に困惑する協会の記事>

次の横綱は迷走のなかにあるが、どういう
大関在位場所数となるのか。その視点を含め
てみていきたい。

3時間番組は長いので、録画してから2回に分けて見ます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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